先日、冷たい雨が降る四国の山中で、原チャリで移動中の若者に出会った。当然初対面だったが、お互いバイク同士だったのが幸いして、雨よけのある駐輪スペースで、世間話に花が咲いた。
会話の中で、その若者は「ボク、建築家志望なんですよ。今日は沢田マンションなどを見て回っていたんです」と言った。学生であるとか、神奈川から来たとか、とある建築設計事務所で働いていたとか、短期アルバイトしながら建築物を見て回る旅をしているとか、建築物に関する批評とか、どれも断片的だが、どれも興味深い話だった。
クソ寒いにもかかわらず、熱く語る若者の話に耳を傾けながら、「これはちゃんと話を聞けば、おもしろい記事になるかもしれない」という考えが浮かんだ。ただ、日暮れも近いし、なにより寒いし、この場で取材をブッ込むのはムリと判断して、とりあえず、名刺を渡し、「後日、良かったらZOOMで話を聞かせて」と伝えて、その場を後にした。なお、写真だけはその場で撮っておいた。
その数日後、建築家志望の若者こと、東京都市大学大学院生である山口波大くんに建築家を目指す理由、旅をする理由などについて、詳しい話を聞く機会を得た。
塾の先生のススメで東京都市大の建築学科へ
――建築家志望ということですが、きっかけはあったのですか?
山口くん もともとは建築とか興味なくて、大学もなにを勉強しようか迷ってて、行きたい大学もとくになかったんです。なんとなく行こうかなぐらいで。
そんなとき、高校生のときに通っていた塾の先生が武蔵工業大学(今の東京都市大学)出身で、指定校推薦のワクがあるなら、「東京都市大学はどう?」みたいな話になったんです。その先生の話によると、「東京都市大学には建築学会賞を取った先生が3人もいる。そんな大学はどこにもない」というようなお話をされました。そのときは「建築学会賞ってなんぞや?」という感じだったんですけど(笑)、先生がそう言うなら入ってみようかなということで、東京都市大学の建築学科に入りました。
後で知ったのですが、3人の先生とは、手塚先生、福島先生、堀場先生のことでした。お三方の授業を受けながら、建築が自分の身体感覚をいかに広げ、ライフスタイルに寄与するかを学びました。そこから、まちや都市の風景や、そこにあるシンボリックな建築だったり、空間だったりを見るのが好きになり、建築というものを自分の身体で感じられるようになり、建築の魅力にハマるようになりました。
日本風の作風に魅力を感じ、手塚研究室に入る
――研究室はどちらですか?
山口くん 手塚先生の研究室に入りました。手塚先生は、武蔵工業大学(現東京都市大学)を卒業した後、ペンシルベニア大学で建築を学び、イギリスでリチャード・ロジャースという建築家のもとで働いたご経験をお持ちなんですが、手塚先生がつくる建築は、内外の関係が数寄屋や茶室的な空間に似ていて、日本の文化を感じられる建築になっています。
周りの自然環境や景観を生かしたり、合理的な構造が素晴らしいです。手塚先生の代表的な作品としては、「屋根の家」があります。手すりがない屋根の上でも人が生活する家で、見たらギョとすると思います。その家で暮らす施主様家族には、きっとステキなライフスタイルが生まれたと思います。
そういう作風が魅力だったので、手塚先生の研究室に入りました。
主に子どもの遊具をつくるという活動

手塚研究室の学生たちが制作した遊具(山口くん提供)
――手塚研究室ではどのような研究をしたのですか?
山口くん 東京都の立川に手塚先生が館長をしているプレイミュージアムという施設がありまして、1階が美術館で、2階が子どもの遊び場所になっています。研究と言うか、主な活動としては、そこで子どもの遊具をつくっていました。いかに子どもが楽しく遊べるかを考えながら、風船をラップでくるんで、風船を連結させて、おもしろいカタチをつくったりしました。
――建築物のデザインをしたり、モデルをつくったりはしないんですか?
山口くん そういうのは手塚研究室には基本なく、卒業設計のときぐらいです。授業では、設計したり、模型をつくったり、モデリング・パースを作成したりはしました。
――授業はコンピュータを使うんですか?
山口くん なにを使うというルールは基本的にありません。ただ、1、2年生は手書きで製図します。2年生の後半からパソコンを使うようになり、モデリングしたりします。

山口くんが大学2年生のときに制作した模型(山口くん提供)
自分の生きたカタチを残すため、人から依頼を受けて仕事をしたい
――「建築家になる」と思ったのはいつごろですか?
山口くん ボクはもともと、誰かのもとで働きたいとかはなくて、自分の生きたカタチを残すため、誰からか依頼を受けて仕事をしたいという気持ちがあります。たまたま建築を好きになったので、「じゃあ、建築家になろう」という自然な流れで、いつの間にかそう考えるようになりました。
――研究室の他のメンバーにも建築家志望はいるのですか?
山口くん 建築家志望かどうかは、そういう話をしないのでわかりません。ボクは普通に「独立したい」とか「建築家になりたい」と言いますけど(笑)、ボクのまわりの友だちは言いません。意匠系の研究室なので、学生は意匠設計かデザイン、卒業生はみんな建築デザイナーになっていきますね。研究室には留学生も含めて40名ほどいます。
大学を休学して、建築デザイン事務所で働く

山口くんがプロジェクトの一員として携わった軽井沢の別荘(山口くん提供)
――建築デザイン事務所で働いていたと言っていましたが、大学を休学して働いていたのですか?
山口くん そうです、2年間休学して働いていました。
――どういう経緯?
山口くん 大学3年生のときにインターンでNAP建築設計事務所(以下、N事務所)という建築デザイン事務所に行ったんです。インターンの期間が終わったときに「アルバイトをしたいです」とお願いしたのですが、N事務所に人が多かったので、採用されませんでした。
大学院M1になったときに、N事務所の方から「働かないか」と声をかけてもらったんです。そこでアルバイトをしているときに、また別の人から、「NAPを独立した人が事務所をつくってアルバイト募集しているよ」と声をかけてもらったんです。それで、and to 建築設計事務所(以下、a事務所)でアルバイトするようになりました。
――なんか、ややこしいですね(笑)。
山口くん そうなんです(笑)。a事務所では、軽井沢の別荘のプロジェクトをやっていて、それのお手伝いをしました。ボクが入ったときは、施主へのプレゼンの前段階で、模型をつくって、カタチの検討をしたり、平面図を書いたり、パースを作成したり、アルバイトとしては貴重な経験をさせていただきました。
その後、施主から仕事の依頼をいただきました。ちょうどそのころ、大学院で学ぶことに興味がなくなっていたので、それをa事務所の方に相談したら、「このプロジェクトをやってみないか」と声をかけていただきました。2年ぐらいのプロジェクトだったので、「じゃあ2年間休学しよう」と決め、a事務所に就職しました。
――就職?アルバイトじゃなくて。
山口くん 正社員です。2024年3月に大学院に復学したのですが、プロジェクトは2024年の9月まで続きました。半年ほどは、大学院に通いながら、仕事をしていました。
ボクは楽しかったけど、上司は苦労していたと思う(笑)

山口くんが作成した構造モデリングをもとに、組み立てられた建築物(山口くん提供)
――仕事はどうでしたか?
山口くん 上司に教わりながら、楽しくやらせてもらいました。ボクが感覚的に仕事していたりすると、論理的に説明していただきながら、いろいろ教えていただきました。ボクは楽しかったですが、上司の方はご苦労されていたと思います(笑)。
――怒鳴りつけられるようなこともなく?
山口くん ときには怒られることもありましたけど、それは私にミスがあった場合です。とても愛情を持って接してくれたと思うんです。オススメの本を教えてくれたり、仕事以外のことも多く学びました。とても有意義な時間を過ごすことができました。

軽井沢の別荘に設置された、おのストーブ(高知県)にオーダーで製作してもらった暖炉(山口くん提供)
――山口くんは、軽井沢の別荘のなにを担当したのですか?
山口くん ボクがやったこととしては、屋根の形状、素材、チェアやテーブル、暖炉といった家具の検討とか、構造モデリングなど、多くのことをやらせていただきました。ボクがつくった構造モデリングを使って、工務店さんが柱や梁の木のプレカットや鉄骨をつくってくれました。
あとは、丸太を立てる際の角度や配置決めですね。丸太はもともと太陽が当たっていた方向に合わせることで、反りや割れが少なくなるため、条件に合う丸太を購入して、丸太の方角を調べて、メインのアングルで丸太が重ならないように配置しました。周囲の樹木と丸太(柱)が連続して、とても素晴らしい空間になっています。

軽井沢の別荘の室内(山口くん提供)
楽しそうで良いけどw
こんなこと出きる人は何人いるんでしょう?
きれいな一面だけを切り取っている記事じゃ?
若い人がこの記事だけ見て良いなと思うと問題が起きる気がしますw
これはこれでいいじゃんか。
本人がやろうと思えば誰だってできるよ。
とても素敵だしこの先苦労はあるだろうけどそんなん生きてりゃ普通にあるのよ。
こういう若者が増えていくと時代にあったいい環境になっていくと思うのですごく明るい記事でした。