東京・目黒の大橋ジャンクション内の換気所屋上に広がる「おおはし里の杜」。昭和初期の目黒川の原風景を再現したこの杜には、約900㎡のビオトープに200本の樹木と400種以上の動植物が息づく。
この杜はこのほど、国土交通省主催のグリーインフラ大賞を受賞したが、そんな称号がかすんでしまうほど、その存在は唯一無二だ。大げさな形容が許されるなら、まるで「みどりの奇跡」と言いたい。たとえば、目黒川にソメイヨシノの花びらが散り流れ、コンクリートのカタマリにみどりが芽吹くたびに、この杜は訪れた人々にどんな物語を語りかけるのだろうか?
巨大土木構造物に根を張る杜

杜の高低差
東京目黒にある首都高大橋ジャンクション。まるで空を切り裂くかのように、円形コロシアムを想起させる巨大なコンクリートのカベがそそり立つ。中には、異様と感じる人もいるだろう。だが、そのカベの上に目をやると、およそ対照的な光景が広がっている。それを知れば、その異様さはさらに際立つに違いない。
大橋ジャンクション内の換気所の屋上に広がる「おおはし里の杜」(以下、杜)は、約900㎡のビオトープだ。ときには強風によって、コナラやクヌギの雑木林が揺れる中、小川が静かに流れ、鳥類20種、昆虫類200種を含む400種以上の動植物が息づく。200本の樹木と無数の草本類が織りなすこの緑は、昭和初期の目黒川の原風景を再現。都市の喧騒を忘れさせる聖域は、高速道路の冷たいイメージを覆す。
2024年、この試みは、国土交通省のグリーンインフラ大賞(国土交通大臣賞)を受賞した。コンクリートの上に杜を育て、生物多様性を守り、地域社会との共生を図るインフラを実現した功績だ。だが、この杜は一朝一夕に生まれたわけではない。1990年の計画決定から30年以上、首都高速道路株式会社(以下、首都高)は、技術と対話を通じて都市の課題に挑み続けてきた。この歩みは、コンクリートにみどりを根付かせる挑戦の記録でもある。
大橋ジャンクションの原点 都市の分断を乗り越える
1990年、中央環状新宿線のトンネル計画と同時に、大橋ジャンクションの建設が決定された。目黒区の住宅地、東急バスの車庫、事務所ビルがひしめくエリアは、都心の1等地だった。だが、巨大な道路構造物を建てる計画は、住民に不安を投げかけた。コンクリートの壁が街を分断し、環境を壊し、コミュニティを脅かすのではないか。計画発表時、そんな懸念の声が上がった。
首都高は、従来のインフラ事業の枠を超える決断をした。単に道路を敷くのではなく、「まちづくり」の一環としてジャンクションを設計するにシフトしたわけだ。東京都、目黒区、地元住民と協業し、数多くの対話の場を設けた。環境負荷の軽減、地域のつながりの維持、移転問題への配慮――これらの課題を解決することが、プロジェクトの大前提となった。
日本では、インフラ事業と地域社会が対立するという事象は、しばしば見られる。大橋ジャンクションはその一例と言えるが、首都高は、他のインフラ事業者の振る舞いとは一風違ったカタチで、地域との対話を通じて共通の目標を模索する道を選んだ。
2003年11月、大橋ジャンクションの建設工事が始まった。以降、首都高は、物理的な作業をたんたんと進める一方、住民との話し合いを重ねながら、ジャンクションが地域に与える影響を最小限に抑える方法を探った。そして2004年、道路事業と市街地再開発を一体化させたプロジェクトが発足。ジャンクションは、単なる交通インフラではなく、都市の未来を切り開くシンボルとして再定義された。
地域の記憶を呼び戻し、生きものの住処となる杜を

杜のせせらぎ
2009年、プロジェクトは転換点を迎えた。首都高は、外部の有識者を招いた検討委員会を立ち上げ、ジャンクションを「環境に配慮した空間」として具体化する議論を始めた。委員会に参加した造園家の某氏は、明確なビジョンを提示した。「このジャンクションは、通過点であってはならない。地域の記憶を呼び戻し、生き物の住処となる杜にしよう」。
某氏の提案の源泉となったのは、昭和初期の目黒川周辺の風景を再構築することだった。そのころの目黒には小川が流れ、斜面林が続き、池や湿地が点在していた。都市化で失われたその自然を、コンクリートの屋上に蘇らせる――このアイデアは、かなり野心的なものだった。技術的にも、ジャンクションの構造として、換気塔や耐荷重の制約を満たす必要があったほか、土壌流出を防ぐ工夫も不可欠だった。
この委員会は、3つの緑化構想を打ち出した。
- 目黒天空庭園:ジャンクションの屋上に整備された公園で、住民が憩える空間を提供
- 壁面緑化:外壁に施される緑のカーテンが、コンクリートの無機質さを和らげ、街並みと調和
- おおはし里の杜:約900㎡のビオトープとして、昭和の地域の自然を再現し、生物多様性を守る
おおはし里の杜の設計は大胆さと緻密さをもって実行された。地域固有の樹種(コナラ、クヌギなど)を中心に約200本の樹木を植栽し、無数の草本類で斜面林や湿地を再現。軽量な人工土壌を用い、雨水を循環させるシステムで小川の流れを形成した。換気塔屋上の形状を利用し、植生の配置を工夫。土壌流出や倒木を防ぐための工夫が、首都高と専門業者の協業により実現。これが、コンクリートの上に、杜が生まれた挑戦の記録のあらましだ。
換気所や屋上の形状を変更せず、みどりを重ねる

杜のみどり
杜の詳細な設計は、ジャンクションの建設がほぼ完了する2010年直前に固まった。2003年から始まった工事が2010年3月に竣工を迎える中、2009年の委員会で3つの緑化の具体像が決定された。時間は限られていたが、首都高は既存の構造物を最大限に活用。換気所や屋上の形状を変更せず、みどりを重ねるカタチで整備を進めた。
杜は、生き物中心のビオトープとして設計された。人の立ち入りを制限し、自然の再生を優先した。小川の流れを模した水路、斜面林を再現した植生、池や湿地の配置――すべてが、かつての目黒川の原風景を再生し、生きものの空間を創出するための設計だった。耐荷重の制約をクリアするため、軽量な土壌が採用され、土壌流出を防ぐ工夫も施された。モニタリング体制も構築され、植生の成長や動植物の定着を継続的に観察していた。