現場が一番面白かったが、体に無理が出てきた
――現場勤務はどうでしたか?
職場としては現場が一番面白かったですね。やっぱり職人さんに憧れがあったので。BH杭の施工管理を担当したのですが、最初は先輩の補助として入りまして、慣れてきたら次の杭打ちについて段取りをさせてもらって。業者の方から「がんばってるね」と言ってもらうのはとても嬉しかったです。
――女性だと、現場で信頼を得るまでにちょっと時間がかかるというのはなかったですか?
私が初めての現場だというのは皆さん知っていらしたので、わからないことばかりなのだと理解してくださっていて。敷居はなかったですね。良く言えば優しくしていただいていたし、悪く言えば舐められていたというか、甘やかされていたと。
――現場の勤務形態はどうでしたか?
超勤が月130時間くらいですね。土曜日は出勤がある時とない時がありました。私は「通し夜勤(夜勤の翌明けの日も連続しての勤務形態)」はありませんでした。それは配慮してくれていたのだと思います。夜勤は6日間連続でした。それで休みが入って、その次の週が昼に戻って。
――苛酷ですね。男女関係なく夜勤が出来ない人はいますよね。
私も昼間はよく眠れませんでした。本当は2年間現場にいるはずだったのですが、体調を崩して本社に戻してもらいました。現場が一番面白かったのですが、一番楽しいのに体の無理が出てきてしまって。「ああ、この道を極めるのは無理なのかな」と。
土木技術者を辞めたワケ
――現場から本社勤務に戻って、辞められるまでの経緯を教えてください。
その頃、ちょうど結婚しまして。夫がちょっと変わった人で、小学生からずっと虫が好きで。好きなことをやって、それを仕事にして生きている人です。好きなことを仕事にするとこんなに生き生きと楽しそうに生きられるのかと、凄く羨ましくて。
――土木技術者の仕事に魅力を感じられなかったと?
土木の魅力って言った時、好きだとかカッコいいとかより、人の役に立つって話が先行しがちですよね。もっと好きを全面に出した方がいいのでは?と思います。
――たしかに土木の人は「好き」だからと言わず、色々言い訳しながら働いている人が多いかもしれませんね。好きそうではあるけど、そんなに面白そうにやっていないっていう。また、組織の中で好きなことをするのはなかなか難しいところもありますね。
私は普通に面談で言っていましたね。海が好きなので、海に関わる仕事がしたいと希望を出して、設計の2年目は海洋関係のグループに移してもらいました。
会社に海洋研究所がありまして、そこに行きたいって何度も希望を出しました。でも、お前は学科が土木だろって。専門も全く違うのに何を馬鹿なことを、って一蹴されました。以降、そこに行くって話は一切なくなって。
――そこに行っていたら、今でも働いていたかもしれないですか?
そうかもしれません。同じ海好きの友人がいまして、友人も専門外ですけど10年言い続けて研究所に。10年待てば?とも言われましたが。10年か…と。
――会社を辞めるきっかけはありましたか?
現場で体調を崩していた時に、友人の結婚式を撮影していた方の写真を見て、すごく感動してしまいまして。結婚式の写真といえば会場専属のカメラマンがきまりきった写真を撮るというイメージを持っていたのですが、その人の写真は思い出の瞬間を切り取った、非常に心動かされる写真で。こういう仕事があるのかと。
当時は現場が忙しくて何もできなかったのですが、本社に戻って土日休みでそれほど超勤もなくしていただいて。とにかく写真がうまくなりたいと思って、週末はそのカメラマンさんのアシスタントをしていました。
――すごい行動力ですね。ご家族の理解はありましたか?
最初は全然応援してくれてなかったですね。その急激な変化に戸惑っていたようです。でも平日に仕事して、土日の疲れている中で写真に行くのを毎日見ていて、そんなに好きならしょうがないな、となったようです。
――写真に出会ってから、退職までどれくらいでしたか?
退職を言い出すまで半年、実際辞めるまで1年ですね。
――各方面から慰留されませんでしたか?
若手の教育担当の方と直属の上司には、かなり真剣に止められましたね。本当に優しい方達で、本当に私の人生を心配してくれました。でも私には写真を撮っていきたいという具体的な夢があったので、それだけ言うならがんばれってことになりまして。上の方ともその後お話したのですが、その方達にはむしろ止められなくて。なんか変な面白いやつだな、がんばれよって。女性の幹部も心配はしてくださいましたが、見つかったなら良かったねと。
――後ろ髪ひかれるようなことは言われなかったですか?
なかったですね。そこまでに散々悩みましたので。同期にも、先輩にも上司にも言わずに考えた期間が結構ありました。
土木業は「ありがとう」が見えにくい
――組織を離れることに対する怖さはなかったですか?
それはありますね。今もあります。少しでもミスをしたら次の仕事はこないっていうのもあります。
――土木は対象領域が広いですし、この中で違う選択肢を選ぶことは考えませんでしたか?
今は、私に撮ってほしいという依頼をもらって写真を撮る仕事をしています。お客さまは、私にしか出来ないことを求めてくれます。それに応えることでお客さまから「ありがとう」と言っていただける。それに凄く価値を感じます。
土木はちょっと結果が遠すぎたというか。本当になくてはならないものだけれど、それを使っている人からの「ありがとう」が見えにくい部分がありますね。
土木を好きってエネルギーが不足しているなと。もちろん仕事なので、やりたくないこともありますし、やらなきゃならないことも。それでも、組織の中で「好き」を表明した人の想いをもっとくみ取ってほしい。
――自分を選んでもらえることは大きなやりがいですね。土木の仕事はそうではなかったですか?
そうですね、単純にもっと仕事が出来て、年数を重ねていれば自分も「これは是非あなたに…」というところまで行けたのかもしれないですが。自分がやっている範囲ではそういったものを感じられなかったですね。
でも、ずっと土木には関わっていきたいと思っていまして、土木学会の座談会の写真なども撮影させてもらっています。それ以外にも道路とか、施工中の写真なんかも撮っていきたいなと思っています。
――土木の経験や知識が勿体ない感じもしますが?
もう覚えていないですよ、お役に立てないかと。でも土木の写真であれば、他の人とは違う写真が撮れると思います。
――土木は好きですか?
今でも、大きなものを造る人達への憧れはあります。でも、自分が進む道ではなかったですね。
「土木辞めた人、戻ってきた人インタビュー」後記
土木の世界では、若い頃から自分が会社の代表となって仕事をする、ということが最近どんどんなくなってきています。そして、お金の余裕も時間の余裕もない中、新入社員は作業ばかりになってしまい、やりがいが見つけ辛くなってきています。
従来の土木技術者は、やりたいことが出来るまで10年待ったのだと思います。でも、10年となると今の若手は次に動く力を持っています。合理的な判断の出来る若者が増えることは素晴らしい。一方で、それは土木業界にとっては危機でもあります。
今の業務体制、特に大きな組織では、仕事に人が付くのではなく、人に仕事が付く仕組みになっています。その点をうまく活用していく必要があるのではないでしょうか。
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私は、40代のロスジェネ世代ですが、一旦土木技術者離れます。発注者ありきの工事はどうかと。他の仕事との決定的な違いは個人を人間として見ていない。
10年単位の丁稚奉公は当たり前という価値観が時代錯誤ですよね。
残念ですが、もうそんなゆとりある時代じゃないです。