「軽微変更」という言葉が好きではない。だって「重大でしょ?」
――設計者から依頼を受けることもあるのですか?
泊 あります。基本設計の段階で依頼を受けることもありますし、確認申請が下りた直後のこともあります。設計側にとって、現場で納まるかどうかは自分たちの問題ではありません。あくまで施工管理側の責任なので。業務の分担です。ただ、あまりにも検討されていない設計図で、「こんなんじゃ施工できないよ」というものもありますが、設計側は「そこまでチェックできない」と主張して、そこでせめぎあいます。費用負担の問題も生じます。
設計施工であれば、話はスムーズですが、設計と施工が別だと人間関係も複雑です。施工側が設計側にお伺いをたてるわけです。「こういう問題があります」「こういう施工方法でよろしいでしょうか」などと。その上で、設計側が「よろしい」と言って、やっと結論が出るわけです。確認申請をし直さないで良い範囲の「軽微変更」を行うわけですが、私はこの言葉があまり好きではありません。だって、施工する側からすれば「重大」ですよね、コレ(笑)。
例えば、いろいろな場所で同じような建物を何棟も立てた場合には、しばしば設計図を使いまわしていたりします。前の設計図をコピペしているので、「幅が合わない」とかはザラです。ひどい場合には、平面では梁幅は柱より小さい図で書かれているのに、実寸では柱より大きいこともあります。
施工者は、非常に危機感を持っています。設計図の読み取りミスで工期が延びた場合、その費用をどこから捻出するのか、竣工まで発見できなかった場合、賠償金が発生したらどうするかなどの問題が生じます。当然、ミスに対する予算は取っていませんから。
設計事務所から型枠大工に転身。理由は「儲かるから」
――SiftDDDを起業する前は、どういったお仕事を?
泊 初めに就職した会社では店舗設計と施工管理を行っていました。ただ、給料が安く、やる気もゼロでダラダラと仕事をしていて、1年で退職を勧められました。クビですね。当時、現場で出会った大工さんの高給に驚きました。現場仕事って儲かるなと思いながら、実家のある岡山で型枠大工を3年やりました。理由は、すごくお金が良かったからです。
――型枠大工への転身は、自信があった?
泊 なんにもなかったですね。ちゃんと考えて行動したわけではなかったので、「儲かるんだったら、やってみよう」という安易な感じでした(笑)。父親の仕事の関係で、ツテはありましたし、実際にやってみると、現場の仕事は楽しかったですね。その当時、設計変更が頻繁にあることで、準備していた加工材料が無駄になる経験をしました。その時のロスを現場が支払うのか、こちらが泣くのか、請負の業者には死活問題です。設計図や施工図がフロントローディグされていればと疑問を感じたのはこのころからです。プライベートでは、子育てと仕事の両立という問題に直面していました。
――子育て?
泊 実は、型枠大工時代に結婚したのですが、子どもが生まれて、すぐに離婚したんです(笑)。素行が良くなくて周囲には大変迷惑をかけていました。その当時、子育てに追われている人間を雇ってくれる会社はないので、仕方なく、父親の会社に入りました。内心、イヤイヤですよ(笑)。その当時、父親の会社の従業員数は50名ほどいたのですが、ほぼ全員から「社長の娘だからって、なんだ」みたいな感じで、かなり打たれました。われながら、ムチャクチャ我慢しました。子どもがいなかったら、すぐ辞めていましたね(笑)。
――父親の会社ではどんな仕事を?
当時、父親がシステム明星株式会社という会社を経営していました。型枠の自動加工機とか、型枠の加工帳の自動出力ソフトの開発を行う会社でしたが、私は、この会社のCADオペレーターになりました。型枠大工の経験があったので、お客様へ提案しながら、オペレーション研修などを担当していました。入社して3年後からコンピュータに興味を持ち始めサーバーエンジニアの勉強をしながら、お客様のインフラ構築、システム企画や提案、開発なども担当しました。
――CADを任された理由は?
泊 父親は「とにかく、コンピュータ、ソフトの使い方を覚えろ」という考えだったと思います。頑張って覚えて、ソフト販売の仕事をしていました。
それから、2012年4月に、神戸にある菱井商事株式会社とシステム明星が株式会社テクノ菱明という合弁会社を設立し、その合弁会社に営業技術課長として、出向しました。
テクノ菱明の顧問が株式会社大林組の出身の方だったこともあり、大林組の生産設計部門へのシステム提案などに従事していました。顧問からは「下請けという気持ちで話をしたらダメだ。協力業者として、なにを提供できるかという姿勢で話をしろ」とアドバイスを受け、提案を聞いて下さる同社の課長をご紹介いただきました。
この課長から、工事事務所との接し方についてアドバイスいただいたり、提案の仕方や資料のまとめ方、現在に繋がる多くのことを教えていただきました。建築に対する熱量が凄かったですね。BIMの勉強会へも参加させて頂きました。
私が仕事に本気で向き合うきっかけになった時期です。今振り返ると、出向先の上司はもちろん、前述の課長や工事現場の所長にも、非常に良くしていただきました。経営者になった今でも「大丈夫か?わからんことはないか?」と声をかけていただき、心から感謝しています。