Zaha Hadid Architects (ZHA)のカーファ・ホー氏
ホー氏とハディドの関係は30年以上前にまで遡る。
最初は英国建築協会付属建築学校でハディドに学ぶ学生であり、その後、ZHAの建築家となったホー氏は、ハディドが初めて完成させたプロジェクトであるドイツ ヴァイル・アム・ラインのヴィトラ社工場の、消防ステーションのデザイン チームに所属していた。
この注目を引く建物は、家具メーカーである同社の工場が落雷による火災でほぼ半分を消失したことを受け、ヴィトラ社取締役会長ロルフ・フェールバウム氏が依頼したもので、角張った鉄筋コンクリートの壁と尖った屋根で構成されている。
これほどの規模と象徴的なパワーの実現は、ハディドの根気と自身のデザイン チームの建築家たちに与えた自信無しには不可能だっただろうと、ホー氏は話す。
「大抵は作品にしか目が向けられませんが、作品は常にパーソナルなものであり、その作者と切り離して語ることはできません。彼女はモデルやドローイングで新たな試みを行うよう、常に私たちの背中を押してきました。
プロジェクトの限界を、絶えず押し広げてきたのです。振り返ってみるとザハの最も優れていた点は、根っからの指導者だったことだと思います」。

ザハ・ハディドのスケッチ一部:サーペンタイン・ギャラリーのインスタレーション『Lilas』 (ロンドン; 2007 年) [提供: Zaha Hadid Architects]

ザハ・ハディドのスケッチ一部:ファエノ科学センター (ドイツ・ヴォルフスブルク; 2000 年) [提供: Zaha Hadid Architects]
ZHAオフィスの「パリンプセスト」という概念
ZHAオフィスは、立ち上げ当初からアトリエとして構成されていた、とホー氏は話す。
長年にわたるパートナーであるパトリック・シューマッハ氏 (現在は単独で事務所のプリンシパルを務めている) と共に業務をリードしながら、ハディドは若い建築家たちに大型案件の重要な役割を任せていった。
デザインは、たゆみない反復により進化を遂げていき、等角図、ゆがみ、切り抜き、仰見図などが、思いがけない発見や偶然のミスにつながることも多かった、とホー氏は話す。

アクアティクス・センター (ロンドン) [提供: Hufton+Crow/{1][Zaha Hadid Architects]
「何かがうまくいかなかった場合、ミスは新たなレイヤーや提案、企画をあらわにします。そして、思考過程をどう洗練させていくべきかを例示してくれるのです」。

シャネル・モバイル・アート・パビリオン (ニューヨーク、2008 年) [提供: John Linden/Zaha Hadid Architects]
「ただし一貫していたのは、建築は人々の暮らしをより良いものにできるという、全面的な信念です」と、ホー氏。

MAXXI 国立 21 世紀美術館 (ローマ、2010 年) [提供: Hufton+Crow/Zaha Hadid Architects]
ニューヨークを拠点とする建築事務所 Robert A.M. Stern Architects の共同設立者ロバート・スターン氏は、この信念が持つ楽観的傾向に共感を示している。
スターン氏は「優秀で控えめな」学生だったハディドに、2002年のAA主催のディナーで出会った。ハディドがコロンビア大学で教鞭を執るよりずっと後のことだが、スターン氏は彼女を、当時自身が学長を務めていたイェール大学建築大学院の客員教授に指名している。

シティ・オブ・ドリームズ・モーフィアス・ホテル (マカオ; 2018 年) [提供: Ivan Dupont/Zaha Hadid Architects]
「彼女と私は両極端の存在でしたが、問題はありませんでした」と、スターン氏。「私がよく言うことですが、“建築という家にはたくさんの部屋がある”のですから」。
建築の可能性を広げたザハ・ハディドの構造建造物
ハディドとスターン氏は、イェール大学のあるニューヘイブンのレストラン Midpoint Istanbul Fine Dining でひんぱんに会っていた。
ニューヘイブンでのハディドは、イッセー・ミヤケの派手なドレスで人目を引き、その機知と感性で学部と学生を魅了していた。「彼女は才女であり、私たちは “ディーバ”と呼んでいました」と、スターン氏。
「本当に魅力的だと言えるような建築家は、多くはないのです。私も、フィリップ・ジョンソンもそうではないタイプだし、フランク・ゲーリーも、控えめで謙虚ですが同様です。建築家の多くは、むしろ退屈な存在なのです」。
ハディドは、退屈とはほど遠い人物だ。彼女のキャリアの進展はその後、ニューヨークなどの都市における素晴らしいプロジェクトへとつながった。
ニューヨークのハイラインを見渡す、曲面ガラスと鋼からなる居住施設 520 West 28th Street などがそうだ。高層ビルからコンサート ホールまで、ハディドの大胆な構造建造物は建築の実現可能性を広げている。
「ハディドは、男性のスター建築家同様に仕事をこなしたまでです」と、バーンスタイン氏。
「物事の可否について、彼女は確固たる意見を持っていました。独自の作品を作り上げ、自身の形状への興味を後押しする非常に有力なオフィスを築きました。数々の建物やプロダクトを手がけ、多数の著書を残し、多数の学生を指導し、多数の講義を行いました。誰よりも懸命に建築を実践した人物です」。
すんごいデザインだな。
現場の技術者は大変そう、、ていう感想が最初にくる。
隈研吾より彼女の新国立劇場を施工したかったです。
隈研吾は高輪ゲートウェイとかもう飽きたしもてはやされている意味もわからない。
ザハ・ハディドの建築に関係したほうが自慢できた、かな。
安藤忠雄とかこういう一流建築家のストーリーと施工現場で働く人たちの現実ってかけ離れてるよね。