やっと始まる「フルハーネス型安全帯」の着用義務化
アメリカから遅れること20年。いよいよ明日(2月1日)から日本でも、労働安全衛生法の改正により、フルハーネス型安全帯の着用が原則義務化される。
欧米をはじめ世界を見回すと、「安全帯=フルハーネス」は常識だ。しかし、日本ではいまだ胴ベルト型安全帯が圧倒的なシェアを得ている。今回の法改正で、初めてフルハーネス型安全帯を着る人も少なくないだろう。
世界のトレンドに逆行する日本は「フルハーネス後進国」と言える。日本の安全帯市場は世界からどれだけ遅れているのだろうか。
欧米を中心に、フルハーネス型安全帯の開発・販売で40年以上の実績があり、2017年に満を持して日本の安全帯市場へ参入した3M社(米国)の日本法人、スリーエム ジャパン株式会社の安全衛生製品事業部 事業部長の中辻?陽平氏に、日本を取り巻く安全帯の課題について聞いた。
スリーエム ジャパン株式会社 安全衛生製品事業部事業部長の中辻陽平氏
先進国でフルハーネス型安全帯を着ていないのは日本だけ
――海外の建設現場の安全帯事情を教えてください。
中辻? 3Mは、1940年に世界初の安全ブロックを開発し、以降約80年にわたり、墜落防止用製品を製造してきました。
フルハーネス型安全帯については、1970年代から約40年間、世界75カ国以上の国と地域で販売してきました。さらに2015年には、フルハーネス型安全帯をはじめとした墜落防止用製品を70年以上にわたり開発・販売してきたキャピタルセーフティ社(米国)を買収し、現在では年間約100万個のフルハーネス型安全帯を出荷しています。
数多くの国の安全帯事情を見てきましたが、先進国と呼ばれる国でフルハーネス型安全帯の着用が義務化されてないのは、実は日本だけなんです。アメリカでは、1998年にフルハーネス型安全帯の着用が義務化されています。もう20年以上も前のことです。
さらに、アメリカでは安全帯やランヤードにも輪をかけて厳しい規格があります。安全性能に求める水準が、日本とまるで違うんです。
例えば、アメリカでは巻取式ランヤードの性能規格で、巻取機構の強度まで求めています。ランヤードには、落下距離を最短に抑えるためのロック機能がついているものがありますが、墜落した人がパニックに陥って暴れたり、助けを求めるために動いたりして衝撃を与えると、ロックが解除され「二度落ち」してしまう例もあるんです。そのため、アメリカのランヤードは二度目の衝撃にも耐えられるように設計されています。
以前「施工の神様」でも、フルハーネス型安全帯と2丁掛けに関する記事が話題になっていましたが、アメリカでは2丁掛け(ダブルランヤード)が常識です。
――日本もアメリカと同じ規制・規格にすればいいのでは。
中辻? ただ、すべてアメリカと同じにすればいいというわけではないんです。日本とアメリカでは、建設現場での施工方法が必ずしも同じではないからです。
例えば、アメリカでは足場がない場所での鉄骨鳶の作業もあります。日本のほうが、安全性の高い現場環境を作ろうという意識は高いんです。また、安全への心構えも含めた職人一人ひとりの質や能力は、アメリカよりも確実に日本のほうが高いと思います。
少なくとも、製品自体の安全性を担保するようなレギュレーションはあるべきです。ただ、アメリカに倣って、厳格な規制と規格でがんじがらめにすればいいというものではありません。日本の建設現場に適したフルハーネス型安全帯やランヤードである必要があります。
5m超の高さでは、フルハーネス型安全帯の着用が義務
――今回の日本での法改正では、主に何が変わるのでしょうか。
中辻? 労働安全衛生法施行例の改正で、2月1日から高所作業でのフルハーネス型安全帯の着用が原則となります。作業箇所の高さによっては引き続き胴ベルト型安全帯の着用が可能な場合もありますが、作業箇所の高さが6.75mを超える場合、建設業では5mを超える場合に、フルハーネス型安全帯の着用が必須となります。
フルハーネス使用範囲のイメージ / 3M
また、過去には安全帯を着用したにも関わらず、使い方が誤っていて重大事故につながった事例があるため、フルハーネス型安全帯を着用して作業する場合には、事前に安全衛生特別教育を受講し、フルハーネス型安全帯や作業に関する知識や正しい使用方法を習得する必要があります。
さらに、フルハーネス型安全帯とランヤードの構造規格も国際規格に近づける形で変わります。既にフルハーネス型安全帯を使用している方でも、この新規格に適合していないものは、2022年1月2日以降は使用することができなくなります。
すでに日本でも、安全意識の高いゼネコンの現場を中心に、フルハーネス型安全帯の着用が広まってきました。それでも、まだまだ胴ベルト型安全帯が一般的です。
厚生労働省の「平成29年労働災害統計」によれば、「墜落、転落」による死傷災害は年間約2万件発生しています。これは、1日あたり50人もの作業者が墜落、転落により被災していることになります。フルハーネス型安全帯の着用義務化は喫緊の課題でした。
フルハーネス型安全帯でも、吊られてみると意外にキツい
――胴ベルト型安全帯とフルハーネス型安全帯では、それほど安全性が違うのでしょうか。
中辻? フルハーネス型安全帯は複数のベルトで身体を支えるので、墜落制止の際に衝撃が分散されるため、胴ベルト型安全帯に比べて身体保護の観点でより安全性が高くなります。
そもそも、胴ベルト型安全帯では墜落時に体が抜け出すリスクがあり、非常に危険です。また、宙づりになった際、身体が「くの字」になり、胸部や腹部など局所的に負荷が掛かり続けることで、内臓破裂や肋骨骨折の重症、さらには低酸素脳症による死亡例もありますし、助かったとしても深刻な後遺症が残る危険性もあります。
胴ベルト型安全帯を使用した上での労働災害は、毎年数多く発生しているにもかかわらず、フルハーネス型安全帯が普及しないのは、実際に高いところから落ちたことがないのでイメージが湧かないからではないでしょうか。
3Mでは、胴ベルト型安全帯とフルハーネス型安全帯の墜落時の違いを分かりやすく説明するために、墜落制止デモンストレーショントラックを製作しました。依頼があった企業や現場に派遣しています。
デモンストレーショントラックは「常にフル稼働状態」/ 3M
まず、胴ベルト型安全帯とフルハーネス型安全帯で、墜落時にどのような差があるのかを人形を用いた実験で見ていただきます。
胴ベルト型安全帯は骨盤の上に着用するので、すぐにずれて安定しないんですよ。しかも、先ほど話したように身体へのショックも大きい。何より、墜落のスピード感や恐怖感というのは、ぜひ実際に見て感じていただきたいと思います。
「参加者はスピード感に驚く」という落下実験/ 3M
次に、落ちた後は身体がどのような状態になるのか、フルハーネス型安全帯を着用しての吊り下げ体験をしてもらいます。
体験すると分かりますが、実際に吊り下げられるとフルハーネス型安全帯でもそれなりにベルトによる圧迫があるんですよ。だからこそ、「胴ベルト型安全帯ならどうなってしまうのだろうか」と想像してもらえるかと思います。
フルハーネス型安全帯も、正しく着ないと意味がない
――シンプルな胴ベルト型安全帯と比べて、フルハーネス型安全帯は着るのが面倒そうです。
中辻? そうですね。ただ、フルハーネス型安全帯は、正しく着て、初めて自分の命を守る保護具になります。
日本では、ニッカポッカのようなゆとりのある作業服を着る文化があり、その上から緩くベルトを締めている人も多いですが、正しく着用しないと、墜落制止時に身体に予想外の負荷が掛かるリスクがあります。着心地の面から、ベルトを緩めに締めている方も見かけますが、必ず長さを調節して使用してください。
それと、D環はかならず肩甲骨の間にくるようにすること。骨盤ベルトも、臀部の上部で留める方がいますが、臀部の下部にあるかどうか確認してください。吊り下げ時に、逆さま姿勢になることを防ぎます。
フルハーネス型安全帯の基本的構造/ 厚労省
また、胸ベルトを鎖骨あたりで留めている人もいますが、墜落時に上にずれて、首を締める危険があるので、必ずバストトップで止めてください。逆に、女性は胸の下でベルトを留めがちですが、墜落時に胸を傷つける危険があるので、絶対にやめてください。
――フルハーネス型安全帯は、どれくらいで買い換えればいいですか?
中辻? 「日本安全帯研究会」では、ランヤードは2年、安全帯は3年を交換時期の目安としていますが、3Mでは使用期限は定めていません。毎日現場作業をされている方と現場パトロールだけの方では、蓄積されるダメージに差がありますので、一律に使用期限を設定することはできないからです。
ダメージがなければ継続して使用できます。ただし、ダメージインジケーターや縫製のほつれなど、状態は必ず使用前にチェックしてください。
日本の建設現場向けのフルハーネス型安全帯
――海外では実績のある3Mですが、日本ではどのように市場展開していくのでしょうか。
中辻? 2017年の日本市場への本格参入に伴い、日本仕様の専用製品「3M DBI-サラ エグゾフィット ライト」を開発しました。さらに、フラッグシップモデルの「3M DBI-サラ エグゾフィット ネックス」と低価格モデルの「3M プロテクタ」の計3シリーズを販売しています。
それぞれの安全性能に大きな違いはありません。「安いものは安全じゃない」では、フルハーネス型安全帯としての意味がありませんからね(笑)。低価格モデルの「3M プロテクタ」でも、しっかりとした安全性能を確保しています。
例えば、墜落時の衝撃荷重を臀部に分散する「骨盤サポート構造」ですが、これがあるかないかで衝撃荷重はかなり大きく変わってくるので、全モデル共通仕様です。
他にも、X型背面ベルトを全モデルで採用しています。
40年の歴史が積み重ねたこだわりを熱く語る。写真は「3M DBI-サラ エグゾフィット ライト(V型腿ベルト)」
――日本で販売されているフルハーネス型安全帯は、Y型の背面ベルトも多いですが。
中辻 先進国でY型背面ベルトのフルハーネス型安全帯を使用している国は、ほとんどないと思いますよ。
X型のほうが身体を屈めたときに背中のベルトが突っ張らないので、動きやすいですし、墜落した時のことを具体的に想像していただくと分かりやすいのですが、ゆるく着がちなY型背面ベルトでは墜落時に体がすっぽ抜けるリスクがあります。
3Mでも、日本の既存市場に合わせて、Y型背面ベルトのフルハーネス型安全帯の開発も検討したんですよ。しかし、安全性能でのリスクを鑑みて、中止した経緯があります。
もう一つのこだわりは、胸ベルトのバックルですね。プラスチック製のバックルを使用したフルハーネス型安全帯を着用している方もいらっしゃいますが、墜落した際に身体を支え、胸ベルトのバックルにも荷重がかかるので、破断しないよう、高い耐久性が問われる部分なんです。
3Mのバックルは全て、耐久性の高い金属製を採用しています。アメリカで発展している都市は、塩害被害のある沿岸部に多いですよね。なので、防錆・防食の試験も徹底しています。
――フルハーネス型安全帯は、機能やパーツが多いですね。
中辻? この他にも、たくさんのこだわりがあるのですが、話しきれないのでこの辺でやめておきます(笑)。ただ、日本で販売しているフルハーネス型安全帯の基本的な安全性能は、3Mが海外向けに販売しているものと変わりません。
つまり、アメリカの厳格な規格をクリアした、高い安全性能はそのままということです。
それでは、どこを日本向けに改良したのかというと、主に作業性能です。
日本の職人は、慣習的に非常に重い道具ベルトを着けていますよね。総重量で13~4kgの道具ベルトを付けている方を見たことがあり、かなり驚いた記憶があります。
――たくさんの工具を携帯しますからね。
中辻? そのため、日本仕様のフルハーネス型安全帯は、道具ベルトとの組み合わせが容易な設計にしています。その他にも、「3M DBI-サラ エグゾフィット ライト」と「3M プロテクタ」では、日本の建設業界向けにH型腿ベルトを採用した新製品も開発しました。こちらは上半身と下半身のベルトを分けているので、ベルトが突っ張ることがなく、より動きやすくなっています。
シンプルでお手頃価格の「3M プロテクタ(H型腿ベルト)」。最軽量モデルで、動きやすさも兼ね備える
3Mのフルハーネス型安全帯には40年もの長い歴史があるので、安全性能は洗練され、ほぼ完成されているんですよ。ですので、最近では安全性よりも作業性が進化してきました。
安全性だけを追求することはできます。ただ、それで使い勝手が悪かったら、どれだけ安全でも使ってくれませんし、動きやすいように着崩してしまったら元も子もないですよね。
だからこそ、安全性と作業性は両立させなければいけません。
40年以上蓄積された、実用性の高いフルハーネス型安全帯をつくるための経験とユーザーの声を、製品にフィードバックし続けてきたことが、3Mのフルハーネス型安全帯の一番の強みでもあります。
建設現場から落下するのは人だけじゃない
――フルハーネス型安全帯以外の製品で販売に注力していくものは。
中辻? 墜落制止用製品と聞くと、日本ではどうしても「胴ベルト型安全帯とランヤード」、もしくは「フルハーネス型安全帯とランヤード」という認識になりがちですが、3Mでは「A」「B」「C」「D」「E」「F」という6つのソリューションを展開しています。
Aは「Anchorage Connectors」、アンカー類ですね。フルハーネス型安全帯を着用していても、ランヤードを掛けられる箇所がなければ、当然地面まで落ちますから。3Mでは、H鋼に取り付けることでアンカーポイントを造れる「固定式ビームアンカー」などを販売しています。
Bは「Body Support」は、フルハーネス型安全帯のこと。Cは「Connectors」で、アンカーとフルハーネス型安全帯を繋げるもの、つまりランヤードのことですね。
Dは「Descent and Rescue」。ちょっと分かりにくい言葉ですが、降下・救助器具のことを指します。墜落した方が自分で降りたり、救助者が助けるための器具ですね。Eは「Education」で、先ほどお話したデモンストレーショントラックやプロモーションムービーを使った啓蒙活動を指します。
最後に、Fは「Fall Protection for Tools」。人の墜落ではなく、落下するモノから人を守るための製品のことです。
工具落下防止用製品。ポーチ(右下)は特殊な弁構造で、留め具がないのにひっくり返しても物が落ちない
フルハーネス型安全帯の話からは離れてしまいますが、工具の落下は日本でも非常に大きな問題となっています。
先ほど、日本の職人はかなりの数の工具を携帯するという話をしました。2017年には、工具などの落下物が原因の死傷者は6,374人、このうち43人もの方が亡くなっていることは、あまり知られていません。
3Mの行った実験では、3.6kgのレンチを60mの高さから落下させると、衝撃荷重は1tを超え、ヘルメットやコンクリートも簡単に破壊するほどの威力となり、小さな工具でも高所から落下すれば、重大な労働災害につながります。
工具の落下による事故は海外でも数多く発生しています。こうした状況を鑑み、3Mではポーチやホルスターなどの工具落下防止用製品を、昨年7月から日本でも販売しています。
3Mでは、高所作業に係るすべての方の安全を守るため、フルハーネス型安全帯だけでなく、トータルで提案していきたいと考えています。
フルハーネス型安全帯は、誰のためのものなのか
――最後に、これから初めてフルハーネス型安全帯を着用する方にメッセージを。
中辻? フルハーネス型安全帯は、胴ベルト型安全帯と比べると、確かに作業性・快適性は劣ります。当然、3Mでも作業性の向上は、今後も追求していくべき大きなテーマです。
ただ、作業性ばかりに目を向けるのではなく、今一度、安全性に立ち返ってみてください。
3Mが展開している、デモンストレーション用トラックやプロモーションムービーは、3M製品の優位性を伝えるものではありません。より安全性の高いもの、つまり胴ベルト型安全帯ではなく、フルハーネス型安全帯を選んでほしいとの強い思いから制作したものです。
https://www.youtube.com/watch?v=OIA8xGzXd0E
「大切な人を思うなら、3Mのフルハーネス。(夫婦篇)」/ YouTube(3M Japan)
フルハーネス型安全帯を初めて着用する方からは、「拘束具みたい」「猿回しのようだ」とのご意見をいただくこともあります。現場の方の気持ちは重々理解しています。
しかし、それでもやらないといけない。フルハーネス型安全帯の着用が義務化される最大の理由は、作業者の方々に毎日無事に家に帰ってもらうためだからです。
「あなたが大ケガを負ったとき、亡くなったときに、誰が悲しむのか」まで考え、メッセージを発信し続けていく。それも、我々メーカーの大切な役目だと思います。
「きれいごと」かもしれません。ただ、きれいごとを言って初めて、現実とのギャップがより明確にわかるものだと思っています。
私たちメーカーの仕事は、そのギャップを埋めることです。その上で、3Mのフルハーネス型安全帯の安全性能の高さと、制約条件となる動きにくさをどれだけ解消できているのかを、みなさんにお伝えしていきたいですね。
※編集部注:フルハーネス型安全帯の原則義務化に関する現場の生の声は、こちらで紹介しています。