本庁上層部が動く
その業務の入札については、なんとその省庁の本庁上層部が動いた。某建設コンサルタントの代表と会合を持ち、業務をやってくれるよう頼みこんだのだ。
この建設コンサルタントは、ある分野では国内トップの実績があり、新しいこともどんどん挑戦しているコンサルタント会社である。建設業界で知らない者はいないような、とても有名な会社だ。
しかし、その会社ですら最初は躊躇した。その会社ももちろん入札参加資格を満たしており、説明書などをあらかじめダウンロードしていた。しかし、応募しなかった。受注したくなかったからだ。
その業務は金額にして億単位の業務なのだが、その建設コンサルタントにとっては無理して取る必要もなかった。そんなことをしなくても、通常の業務を2~3つ受注すれば、億単位の売り上げがたつからである。通常業務であれば利益もある程度予想が立つ。
新領域で誰も経験していない業務では、売り上げは見込めても利益がどうなるのか、見当がつきにくい。利益がどうなるのかわからない業務を、そうそう取りに行こうとは思わないのだ。
結局折れて受注することになった、ある有名建設コンサルタント
結局のところ、本庁上層部と建設コンサルタント代表者の会合において、その建設コンサルタント会社は業務を受注することになった。その事業の終盤まで業務を受注していく、という約束を本庁上層部は取り付けたとのことである。
その業務には、とても優秀な技術者を振り分けたようであるが、病む人が続出していると聞いた。発注者からの恐喝・恫喝が日常茶飯事だからだ。役所とはそういうところなのか、と思ってしまうような言動・行動が目についた。
一方で、彼らのやり口が垣間見えたことは大きな収穫でもあった。次に同種の業務をやることになった際には、心構えができるだけではなく、こうしたらこうなるのでは?といった仮説を立てながら取り組むことができる。道筋を立てやすくなるのだ。そういう意味では、勉強になった(?)業務でもあった。
当たり前の日常だと思います。応札0で困るのは企画する部署。トップダウンで遠巻きなお願いはすると思いますが、監理する部署には関係ないので。発注者か監理者か分からないですが恐喝・恫喝に対しては会社がサポートする問題なので所長の裁量が足りないのでは?
災害復旧工事は、かなり過酷ですね~
まとも図面もなく直せ直せと急かせられ工期も短いし担当になれば休日返上の残業だらけになるからやりたくなですね。
少なくとも私がやってきた復旧工事は、あれもこれもと最後追加で予算をだすといいながらだせませんとか言われ結局赤字工事になってしまうので絶対やりたくないですね。
結果どこも手を挙げなく役所からやってくれと言われやって地獄をみる繰り返しです。
お願いするときは下から出て請けてくれたらお願いしていた時とは全く違うと。
人としてどうなんでしょうね。
国民性なのか、業種の問題なのか。
ちなみに私は現場監督ですが似たような状況(受注者がいないという点で)の市の発注を請けました。
最初の顔合わせで挨拶に伺った際発注元の課の職員が7名ほどいらしてお礼を言ってくれたし、現場が始まってからも担当の職員もとても協力的でした。
検査の際も検査官に対し担当者がしっかり対応してくれてまして、とても好感を持ちました。
まあ、何が正解かわかりませんがこれが普通だとは思いたくないし人にやられて嫌なことは他人に対してもやりたくないと思いましてコメント致しました。
古い話です昭和47年(1972年)6月 か7月頃か御殿場線 山北駅近くの鉄道僑が台風で流され 復旧作業は河原をブルで均し鉄骨やぐらを組み仮設橋と線路を作り列車運行目的作業中 また大雨が降り出し水面が見る見る上昇 作業用止水土手を超え我々を襲う気配で囲み始めた
危険だ止めようの声で重機など川の上部に移動を始めたとき
当時国鉄復旧工事所長・責任者の山北駅長さんが 悲痛な声で皆さん待って下さい 7月1日には1番列車を絶対開通せよの命令なんですと叫び 彼の頬は雨か涙か判らぬが泣いてるようだった。土砂降りの中 黙って立ちすくす 我々の誰かがやって遣ろうじゃねいか の一声で黙って作業続行した 駅長さんは号泣していたと思うが誰も正視する者は居なかった、別の話 横浜市は高低差が有り台風の度出水事故多発した 私の居た会社は東北出身者(殆ど農家の出稼ぎ労働者)が常時100人以上も飯場に滞在 真夜中の災害出動要請で私も 腰まで水に浸かり一般民家の家具運び作業などに駆り出された 地元業者は通勤者が殆どで夜中の緊急時に役立たないが私の会社は 新幹線工事で出張ってきた言わば新参者で有り 地元の指名業者の甘い利権享受の業者には(談合など当り前)には目障りであった思うが 度々の緊急要請に応えた実績なのか割と早く神奈川県と横浜市の指名権を獲得した 何が言いたいかですが
どの仕事も楽なものは無い しかし人に感謝され存在が認められること程嬉しいものは無い (今も 泣いて礼を言っていた山北駅長さんや 水中に浸かりながら家具を運び終え溢れんばかりの礼を言ってた主婦の方 長い陳情の末 位置指定が認められ予算が付き 砂利道舗装化工事中交代で我々作業員に茶菓を振舞ってくれた沿道の民家の方々は覚えている)
前述の私の会社はオイルショックで倒産その後
有為転変あったが 中卒ながら実務経験年数の受験資格で建築士免許を取り自分が図面を描いた客さんも第2世代に移りつつある 74歳現在孫は 来年は大学受験生です ご指名頂く仕事ならばまだ数年はやる 皆さん今の仕事が天職と思うと明日が明るく成りませんか。
ちょっと毛色は違うけども繁華街での工事、不調になる事3回
もう随契でお願いしますと頭を下げられて泣く泣く受注
発注者はそんな事を知らないのか知らぬふりなのか予想通りに地元対応で地獄を見た