「言われたモノをつくる」のではなく、「なにをつくるか決められる」

大石(施工の神様ライター)

尾崎さん
大学卒業するときは、「大学院に行くのが当たり前」みたいな雰囲気があったので、そのまま大学院に進みました。大学院に進んでからは、進路について「大きなモノをつくるのがカッコ良い」という夢みたいなモノと、「人に寄り添った仕事がしたいな」という思いの間で、揺れていました。とりあえずゼネコンを受けてみましたが、総合職は女性の採用が難しい状況でした。そこで「大きいモノをつくる夢」は捨て、「人に寄り添った仕事」を目指すことにしました。それが公務員だったわけです。
公務員は「言われたモノをつくる」のではなく、「なにをつくるか決められる」ので、面白いかなと思いました。それで、自分が生まれ育ったまちである名古屋市役所を受けました。

鈴村さん
私の出身は岐阜市ですが、名古屋の大学に6年間通っていたので、名古屋のまちに愛着が芽生えていました。名古屋市は政令市なので、いろいろな仕事ができて、やりがいにつながるんじゃないかと考えました。それで名古屋市役所を選びました。愛知県庁だと転勤があるので、私のライフプランと違うので、選択肢から外れました。

大石(施工の神様ライター)

鈴村さん

大石(施工の神様ライター)

尾崎さん

天野さん
最初の仕事は「恥ずかしくて、直視できない」

大石(施工の神様ライター)

尾崎さん
例えば、環境に配慮した工事をおこなうため、山のホタルの数を数える必要があったのですが、ホタルの数を数えるためには、どういう方法が一番効率的なのかを考え、山の中を歩き回ったことがあります。そういうことを夢中でやっていましたね。反対派の方々に囲まれて、説教されたこともありましたが、反対意見も聞きながら、どうやったら事業を動かせるかを考えていくのが、スゴく面白かったです。
その後は、名古屋高速道路公社に出向して現場監督をやったりしました。道路畑が長かったです。20年のうち、半分が出先の現場仕事でしたね。

鈴村さん
その交差点にはちょっとした緑のスペースの街園があって、上司から「街園は好きなように設計して良いよ」と言われたんです。どういう基準があるかよく知らないままに、「こうやったらカワイイんじゃないか」という感じで、上司や地元の人と相談しながら、つくっていったんです。この交差点を今でも通ることがあるのですが、恥ずかしくて、直視できないんです(笑)。

鈴村さんが設計した街園

大石(施工の神様ライター)

鈴村さん
なかなかうまく組めなくて、最終的に間をモルタルで埋めたんです。モルタルは乾くと真っ白になるので、せっかく再利用したのに、白と黒のツギハギだらけになってしまいました。それを見るのが恥ずかしいんです(笑)。

天野さん
半年ほど経って、設計書づくりを任されるようになり、国道に接続する幹線道路の舗装工事の設計書を書いて、発注しました。切削オーバーレイでめくるだけの工事でしたが、発注してからも、業者さんに助けてもらいながら、完成させました。老朽管の対策工事、橋梁工事、側溝工事などいろいろな工事があるのですが、先輩に聞きながら、やっています。

現場をチェックする天野さん