最初の1年間は、おこられながらの毎日
石川さんは山形出身。父親を含め、土木現場で働く人が身近に多かったことから、NIPPOに入社。さいたま市(当時大宮市)に引っ越し、オペレータとして働き始める。2代目バンクの神様のもと、修行を積み、技術技能を学ぶ。

23才ごろの石川さん(本人提供)
石川さんは身長183cm、体重100kg超と当時からガタイが良かった。ちなみに、初代バンクの神様は、昭和30年代にバンクの人力施工を手掛け、NIPPOのバンクアスファルト舗装技術を確立した人物だそうだ。
最初の1年間は、重機操作がうまくいかず、おこられながら仕事をする毎日を過ごした。失敗もたくさんした。現場は高速道路からまちなか狭い市道まで様々だった。これを5年ほど続けた後、高速周回路、テストコース、競輪場・自転車競技場、サーキットコースなどの現場を転々とする。

作業中の石川さん(本人提供)
バンク部では、施工機械が斜めになって法面を舗装する。施工機械が滑落しないように、サポータという機械でアスファルトフィニッシャやローラなどを吊り支える。しばらくはサポータのオペレータとしての腕を磨いた。
バンク舗装では、法面上にいる施工機械オペレータはサポータオペレータに命を預ける。まさに命綱であるとともに、お互いの意思が通じなければ路面を傷めてしまう。「一瞬たりとも気を抜けない心身ともに厳しい仕事だ」と言う。
「このころは、生意気なことも言いながら、ただがむしゃらに仕事をしていた」と振り返る。15年ほどオペレータを務めた後、NIPPOの子会社に出向。以降、オペレータとして作業しながら、施工指導員として、舗装作業員の採用、教育の任に当たってきた。
国内だけでなく、イラクやカンボジアなど海外での6カ国9現場を踏んだ。現地の作業員とは言葉は通じなかったが、「言葉は通じなくても、おこらず、騒がず、ヤル気と度胸で仕事に臨めば、背中を見せているだけでなんとかなる」ということで、身振り手振りで伝えるだけで、現場でのコミュニケーションに問題はなかった。問題がなかったどころか、現地作業員からは「あなたは英雄だ」と慕われることもあったと言うから、わからないものだ。
どの工種でも優れた職人がいる中でICTと技術の継承のバランスをどのように取っていくのかが喫緊の課題のように思います。