仕様書に記載がないことほどチャンス
発注者の立場からすると、「仕様書に記載してあることは、最低限順守されている」と判断する。裏を返せば、記載がないところこそ、発注者からの評価を得るポイントになる。
例えば、現場が止まるほどのクレームが一番わかりやすい例だろう。本来なら発注者に電話がいき、対応に追われるような事態を、技術者が仲裁に入りうまく処理できれば、十分な評価対象になる。こうした事情をしっかり伝えられれば、設計変更に対して首を縦に振らない発注者の理解も得やすくなる。
一見すれば工事評点に悪影響だと思われる要因にこそ、評価を得るヒントが隠れていることも多い。発注者が気にかけていることを事前に察知して、かつアピールが上手にできるかどうかで、技術者の評価はぐっと変わる。
工事担当者も、人間だ。単なる仕事相手ではなく、パートナーと考えたほうが仕事は円滑に回る。工事の評価も、人が行うものだ。加点項目が存在しても、それを評価するのは人間だから、判断基準も異なってくる。発注者の心理を理解することが、彼らから高い評価を受けるための近道だろう。
真なる顧客は納税している国民。発注者はあくまでも発注元の長であって出先機関は単なる窓口です。少なくとも私の中ではですが。
故に発注窓口担当者の安パイのための書類や施工、意味の無い施工、住民に伝わらない(役人の自己満)お知らせ、意味のわからない(逆に危なくないそれ?)みたいな安全指示等、納得できる理由が無い場合は断固やりません。当然理由があれば別です。
密な打ち合わせには賛成ですがリモートでいいです。馬鹿みたいに4部も5部同じ資料つくる必要もないです。前例踏襲主義よりも住民側にたって現場ごとで検討しないからクレームが減らないのだと思います。
この記事を書いた方は発注者目線すぎ。発注者と言えば聞こえは良いが、彼ら全員が良識を持った人ばかりではない。協議事項をいつまでも回答をしない人、工期終盤にいきなり工事量を増やす人。工期に余裕があるのに工事が終わる前に設計変更数量の提出を求める人、やらせるだけやらせて金を払わない人、完成検査では自己保身で仕様書や特記仕様書にも無い無駄な書類を用意させ自己保身で全てのミスを施工業者に被せる人。完成書類だって追加で作らせるなら金を出して欲しい。
書いたらキリが無いが私達をぞんざいに扱う方々をパートナーとしてはみれない。この記事の筆者は発注者と関わった経験が乏し過ぎる。
公共事業の発注者の場合は違うね、全くの誤認識、こんな現場を知らない者の考えが無責任、当事者意識皆無の税金泥棒をのさばらせる
民間と公共とは違うと思いますが、言えることと思います。
特に個人住宅では。
以前、ある地方新聞に有りましたが、医者もこれからは接遇が大事になる、と。
建築業界(特に個人住宅)の世界はそうだと思いますね。
お客さんとのコミュニケーションが上手く取れていれば、クレームは限りなく少なくなります。
甲乙対等やろ。そもそも、こっちは納税者でありエンドユーザーだ。
こんな記事があるから「腐れ公僕」どもが勘違いする。そしてもっとひどいのが所謂、補助監督員とか委託監督だ。何の権限もないくせに偉そうな物言いをする奴が多すぎ。黙って黒板だけ持ってろ。
これは本当にそう。
1部書類が余計に増えて、連絡の手間も結局監督員と補助両方に取るので生産性悪すぎ。
この人の記事はいつも薄っぺら
大きくは外してないけどちょっと外れてる
現場に深く関わっていないんだろうな
建物が建つのに必要な物理的コストは常に一定。問題は誰がその仕事をやるか。
発注者が有能でなんでも自分でやれればその下の作業員は楽だし、
発注者が無能で口だけの奴ならその分作業員やサブコンの監督がわりをくう。
作業員は金をもらえるかがかかってるからその現場の作業は嫌々であっても完遂するが、発注者が作業員を評価するのと同じように、作業員もまた発注者を見定めている。