Hさんとの出会い
Hさんと知り合ったのも、この現場だった。Hさんは当時、研究所の本部の外壁改修工事を請け負ったゼネコンの現場代理人だった。
建物の老朽化に伴う躯体の傷みが、表面のタイルの至るところに影響し、タイルの落下が頻発。建物の補修とタイルの貼り替えをすることになり、総工費は約2億で工期が10カ月の大工事だった。
研究所だけに、中に入っている研究者たちは、自分たちの研究にどんな小さな影響も認めない!というような、ピリついた雰囲気だった。
24時間データを取り続ける必要があったり、研究室の前のバルコニーに試験用の生物を飼っていて、その生育に支障が出ると困るなど、工事説明時に苦情が殺到。その1つ1つを、Hさんと各研究室に行って詳しい話を聞いて回った。
どんなに配慮をしたとしても、100%研究者たちの希望を叶えるのは難しいと最初から分かっていたが、ここをないがしろにすると後で仕事がやりづらくなることは明白なので、研究者たちの話を聞いて回ることにしたのだ。
やっと1か月後、しぶしぶ研究者たちの了解をもらい工事を始めた。
しかし、人が中に居住してる建物の改修工事が一番難しいのは、工事関係者なら誰しも知っているだろう…。それはそれは神経が休まる間も無く、Hさんとも、工事に関して随分言い争いをしたりもした。
それでも、どうにか工事は終了。地震後の点検でも、建物外壁からタイルが崩落してる箇所は皆無だった。
この現場の後、私は海外の施工管理の仕事にかかりっきりになり、Hさんとも会うこともなかったが、メールのやり取りはそれ以降もずっと続き、現在に至る。
私からの連絡がしばらく途絶えると、必ずHさんのほうからメールが来て、随分と励まされた。私にはこれといった取り柄は特にないが、Hさんをはじめとする友人たちは私の財産だ。それは何ものにも代え難い。