未曾有の大復興工事の影の軌跡
東日本大震災から10年。被災地の公共インフラの復旧・復興に当たり、建設業界およびゼネコンが担った役割は極めて大きいものであることは間違いない。だが一方で、ゼネコン幹部らが一次業者との契約関係の中で不当な利益供与を受けていたことが次々と明るみに出るなど、建設業界の悪しき元請下請関係を炙り出したのもまた、復興事業によるものである。
特に、福島第一原子力発電所の事故の影響を受けた福島県では、インフラの整備こそ進めども、住民の帰還は思うように進んでいないのも事実だ。ハコだけが造られ、産業の復興・創出という広義のまちづくりは一部置き去りにされ、利活用・維持の見通しが立っていないインフラも多い。
あるゼネコン幹部は、この10年間を振り返り「ゼネコンの業績には大きく寄与したが、特措法に甘えすぎたため、会社の体質・人材という実態経営にはほとんど寄与していない」と話す。同氏に、福島における10年間のゼネコン業界に対する自戒とこれからのゼネコン業界の在るべき姿について、匿名で語ってもらった。
100億200億が当たり前の”復興バブル”
――この10年間をどう見ているか。
A氏 一口に”福島復興”と言っても多様な観点があるが、我々ゼネコンが主に担ってきた復興とは「インフラと生活環境の復旧」である。これについては、まだ2、3年掛かるものと思っているが、ゼネコンの力無くして実現することはできなかったという自負はある。
だが一般に、ゼネコンに対して良い評判・評価をいただくことは多くない。自衛隊やボランティアの方々は感謝されても、我々ゼネコンが感謝されることはない。これはいわゆる”復興バブル”の中で、ゼネコン各社がいかに”カネを稼ぐか”だけを考えていたことが原因であり、感謝されないのも当たり前だろう。
復興に当たっては、我々ゼネコンが培ってきた技術力で支援を行い、その業務に対する”適正価格”を頂戴する。これが通常のビジネスの形だったはずだ。だが、福島復興に巨大な税金が投入され、いわゆる”復興バブル”が起こった。
ゼネコン業界では当時、5億10億の事業を受注するのに四苦八苦していた時代が長らく続いていたが、震災・原発事故によって100億200億が当たり前に発注されるようになったわけだ。ゼネコン各社は”あれもこれも”と手を出していった。
「甘えすぎた」のではなく大手ゼネコンや天下り企業が「甘い汁を飲みすぎた」の間違いではないですか?