国交省・関東地方整備局企画部長の仕事とは
過去に何度も取材してきた国土交通省キャリアの見坂茂範さんが今年4月、国土交通省関東地方整備局の企画部長に就任した。
関東地整は、さいたま市に本局を置き、茨城、栃木、群馬、千葉、東京、埼玉、神奈川、山梨、長野の1都8県の道路、河川、港湾のインフラ整備などを司る。
企画部長は、局全体の統括のほか、広報や防災、DX(デジタルトランスフォーメーション)などを所管する、局No.2の重要ポストだ。企画部長として今後、どのような仕事に取り組んでいくのか、話を聞いてきた。
いつ起きても不思議ではない首都直下型地震
――関東地整はどのような組織ですか。
見坂さん 関東地整が所管する1都8県には、全国の約1割の面積の中に、全国の4割近い人口と経済が集積しています。全国に8つある地方整備局の中でも、日本の中枢機能を担う非常に重要な整備局です。
――企画部長とはどういうポストですか?
見坂さん 地方整備局の筆頭部長で、実質的に局長に次ぐNo.2のポストです。人事、組織管理のほか、防災、DX、広報、技術管理、入札契約などといった組織横断的な業務も所管しています。建設業界との窓口として、ご要望などを伺ったり各種調整も担っています。
――関東地整では今、どのような事業に力を入れているのですか?
見坂さん 関東地整では、災害への備えが非常に重要な課題になっていると考えています。災害には、豪雨災害、台風もありますが、これらの災害は事前に予想し、備えることができます。管内には、荒川、利根川、多摩川、江戸川などの大きな河川が流れていますが、長い年月をかけて堤防強化などの治水対策を実施してきており、豪雨や台風への備えはある程度できていると考えています。
とくに怖いのは、予期できない首都直下型地震です。首都直下型地震の危険性は、10年以上前から指摘されてきました。「向こう30年間の発生確率は70%」と言われていますので、いつ起きてもおかしくない状況が続いていると認識しています。私自身、「私の任期中に起きるんじゃないか」という思いでいます。緊張感を持って備えるよう、職員にも指導しているところです。
発災後、自動的に道路啓開に動く「八方向作戦」
――首都直下型地震に備え、どのような取り組みを進めているのですか?
見坂さん 関東地整では、10年ほど前から、首都直下型地震への備えに取り組んできています。その一つが「四路啓開」です。これは、地震発災後、「道路」、「水路」、「航路」、「空路」の4つを救助・救援、緊急物資輸送ルートとして、これらの連続性を確保するものです。四路啓開のため、日頃から訓練を行い、常に準備をしているところです。
四路啓開の中でも、道路啓開は特に重要な取り組みになります。関東地整では、「八方向作戦」に基づき、これを実施することにしており、毎年訓練などを行い、備えているところです。東京23区内で震度6弱以上の地震が発生した場合は、自動的に八方向作戦が発動することになっています。
8つの方面から東京都心に向けたアクセスルートを確保する作業に入るというわけです。作業は各国道事務所が担当します。各国道事務所はそれぞれ地元の建設業者と災害協定を結んでいます。地震が発生すると、国道事務所からの指示がなくても、建設業者は自動的に道路啓開を始める仕組みになっています。
人名救助のタイムリミットの目安は3日間、72時間だと言われています。八方向作戦は、48時間以内に各方向最低1ルートの道路啓開を完了することを目標にしています。いろいろな道路を組み合わせ、どんなジグザグなルートでも構わないので、とりあえずルートを確保するということです。これらのルートを使って、自衛隊などが人命救助を行うことになります。
道路啓開ルートは、各国道事務所が立案しますが、その際には、沿道に設置した道路管理用のカメラなどを活用し、沿道の状況や車両状況などを確認しながら、判断していくことになります。各ルートは、発災後6時間以内を目安に選定することにしています。高速道路、国道、都道などの中から、比較的被害が少ないルート、短時間で応急復旧可能なルートなどを選び、それらを組み合わせて各方向毎に1つのルートを確保する作業を行います。
状況確認には、道路パトロール車、バイク、自転車も活用します。この中でも活躍が期待されるのは、バイクや自転車です。都心で地震が発生すると、車はまともに走れないと予想されるからです。各国道事務所はバイクと自転車を確保しています。必要に応じて、ドローンを使うことも想定しています。
――見坂さんは以前、関東地整で勤務していたとき、この八方向作戦の立案に関わったそうですね。
見坂さん そうです。企画調整官のころに関わりました。当時は、今とは違って、都心にある東京国道事務所は被災して作業できないだろうということで、大宮、横浜、千葉といった都外にある国道事務所が主体となって、外側から都心に向かって一斉に道路啓開を行うことにしていました。それらの国道事務所は、管内の道路点検よりも優先して都心に向かって道路啓開を行い、さらに外側にある高崎、宇都宮、常陸などの事務所は、都心に向けて道路啓開を行う国道事務所の管内道路の道路点検の応援に入るというカタチで考えていました。
その後、作戦がよりブラッシュアップされ、東京国道を含め、各方向ごとに担当する国道事務所が決められ、それぞれが一斉に道路啓開を行うという、今のカタチに変わったわけです。作戦の考え方は変わりましたが、理念は同じです。