ルールがおかしいのか、それとも自分の考えがおかしいのか
今後の働き方や未来の業界全体を見通してみたときに、新しい発想のやり方にチャレンジしたり、業界の改革を進めることができるとしたら、どちらが良いのかを考えると、「圧倒的に後者」だと思います。
今まで火を使って料理を温めていた人が、それまで通りずっと火を使い続けることも間違いではないでしょう。でも、その危険性や時間を考えたときに、いくつかのリスクがあります。それでも、そこに気を付けながら使い続けることは可能です。
ただそんな考え方ばかりだと、いつまでたっても電子レンジは生まれないわけです。物事をしっかりと掘り下げ、本質を見極めることができれば、その本質を満たす方法が無限にあると気づくことができます。
今やっていることが、絶対に正しいとは限らないわけです。その核になる本質を変えることなく、時代に合わせたツールを使ってプロセスを変えることが、今後の建設業においては重要な考え方だと思います。
例えば、掘削単価が1m3当たり1000円だとします。これは過去の実績や経験値をもとに、しっかりと利益を残しながら業務を行える請負金額を、すべての掘削土量で割り返したものにすぎません。つまり、この単価は実績の積み上げであって、決して初めから決まっていたものではないのです。
「なぜ1000円なんですか?」と聞いたとき、前者の考えだと「1000円だと決まっているから」と答えるでしょう。でも、後者の場合は「あくまで平均値なので、工夫の余地はある」と気づくことができます。
これは何も、監督目線で「安くしてほしい」ということではありません。物事を掘り下げない人には、「決まりだから」「ルールだから」以外の言葉が出ず、新しい発想は生まれないと知ってほしいのです。
かつてこの地球上に道なんてありませんでした。多くの人間が通ったから、そこに道ができただけの話なのです。そこを理解すれば、前進するために必要なものが見えてくるはず。
“ルールがおかしいのか、それとも自分の考えがおかしいのか”
何度も言いますが、物事には変えてはいけない「本質」が必ずあります。服は肌を隠し、温めるもの。それがわかれば、服は服である必要すらなくなります。泡でもいいのです。そうやって新しい発想を見つけ、トライ&エラーを繰り返して磨いていきましょう。
その先には、きっと素晴らしい未来が見えてくるはずです。
※この記事は、『 【インスタで学べる】1日たった3分で学べる建設コラム 』の記事を再編集したものです。
おあしす運動
「おれじゃない」
「あいつがやった」
「しらない」
「すんだこと」
決まりだからって盲目的に言うのは確かに改善の余地はあるのだけれど、そもそもとしてその数字は過去の何十万、何百万、何千万という人間が関わった上で出した数字であるのも確かなものなのでそれを覆そうとすれば相応の労力なり説得力が必要にはなるんだよね
掘削単価にしても過去の大勢の平均から算出したものであって誰しもが特出したおぺれーの最適な数字を出せるわけではない
オペレーターにも腕前ってのは歴然とした差があるわけで、超一流の人が最適な条件で出した数値を、平凡なオペが最悪な条件で出せと言われても不可能なわけで
ではどのようにパフォーマンスを発揮してもらうかとなると条件を整える必要があってそれにはまたかねがかかるというね
そうやって算出していくと結局は平均値っものにたどり着く
それが所謂単価ってものになってくる
それを覆そうというのだから過去の積み重ね以上のものを出せる人間でもなければ出来ないのよな
確かに極々一部の人間であればタイミングや条件さえ揃えばそれらを覆すことも不可能ではないけど殆どの人間にとってはやるだか無駄なことでしかないってのが現実
チャレンジしようという時点で人間の0.01%以上の上澄みであるという自信でもなければやるだけ無駄なのよな
それが歴史、積み重ね等の重み
またしてもズレてるなぁ。
ゴールに対して”自由なルート”を辿るにしても、資格によって技術を担保される立場なら、法令を踏襲しつつ新しい考えを取り入れるのが当然。
そんなことは当たり前で、全てがルール上に則って施工することは無理。まるで現場出たことないような浅い話だ。