【ニチレキシリーズ第3弾】土木技術者3名
第3弾は、施工部門。ニチレキ株式会社のグループ会社である日瀝道路株式会社(本社:東京都千代田区)の3名の土木技術者だ。どんなに良い舗装材料、工法であっても、適切に施工されなければ良い舗装はできない。舗装現場には、どのような難しさ、喜びがあるのだろうか。話を聞いた。
- 益子 大地さん
日瀝道路株式会社 茨城支店つくば営業所 - 五百川 和貴さん
日瀝道路株式会社 東京支店 - 市橋 勇太さん
日瀝道路株式会社 東京支店
舗装だけなので仕事を覚えやすい
――現在の所属を教えて下さい。
益子さん つくば営業所に所属しています。入社15年目です。
五百川さん 東京支店所属で、現在は群馬県に出張しています。入社13年目です。
市橋さん 私も東京支店所属で、現在は茨城県に出張しています。入社10年目です。
――日瀝道路に入社した理由は?
益子さん 私の実家は、茨城で建設業関係の仕事をしていて、同じ建設業で働きたいと思っていました。それで、地元の高校の農業土木科に進みました。卒業するに際し、たまたま日瀝道路の求人票を見たのをきっかけに、舗装に興味を持ち、入社しました。
――地元で働きたいという思いがあったのですか?
益子さん そうですね。求人の勤務場所は茨城支店だったので、そこで働きたいと思っていました。ただ、いろいろあって、つくばの営業所に異動しましたけど。
――舗装に興味があったと?
益子さん 舗装の仕事は、一つのことをやり続けるイメージがあったので、自分の身になりやすいと考えました。いろいろな工種がある土木の仕事よりも、仕事を覚えやすいと思っていました。
――五百川さん、入社理由をお願いします。
五百川さん 益子さんは同じ高校の先輩でして、同じ農業土木科にいました。最初は、漠然と「学校での勉強を活かすなら、建設業かな」ぐらいに考えていましたが、そんなときに学校に求人票が来て、担任の先生からも推されたので、とりあえず入社してみたという感じです。最初の配属先は栃木県で、その後も東京支店に所属しながら、あちこちに出張しながら仕事をしてきた感じです。
――地元で働きたいというのはなかったのですか?
五百川さん 本当は地元で働きたかったのですが、残念ながら、転勤枠に入ってしまいました(笑)。
――市橋さんの入社理由は?
市橋さん 私は新潟の工業高校で土木を学んでいましたが、同じ部活の1コ上の先輩が日瀝道路に就職していました。就職に際し、顧問の監督から「お前もどうだ?」と言われ、軽い気持ちで入社しました。地元で働くつもりでいましたが、配属先は栃木支店でした。
出張しながら、いろいろな現場を渡り歩く
――これまでどういったお仕事をしてきましたか?
益子さん 営業所の仕事は、ほぼ下請け工事です。現場の写真を撮ったり、段取りしたり、現場管理をメインにやってきました。最初のころは出張がけっこうあって、新潟や栃木の現場に行ったほか、神奈川には1年ぐらいいました。最近は茨城の現場が多くなって、落ち着いてきた感じです。
五百川さん 入社してからは、栃木県那須塩原あたりで、舗装の下請け工事に5年ほど従事しました。その後いろいろな現場に出張するようになり、今は東京支店で主に国土交通省発注の仕事に携わっています。
市橋さん 入社してからは、栃木のほうで下請け工事を5年ほど担当してきました。その後、NEXCO発注の千葉東金道路パーキングエリアのバリアフリー工事をやりました。昨年10月まで、埼玉県越谷の国道4号の電線共同溝工事では現場代理人として入っていました。
前の工事が遅れて、切羽詰まった状況で施工した
――思い出に残っている仕事はありますか?
益子さん 新東名高速の海老名JCT〜厚木南ICの舗装工事ですね。日瀝道路として初めて、NEXCOの元請け工事でした。規模の大きな仕事でしたが、日数がかなり限られていたので、寝るヒマもなかったと言うと言い過ぎですが、大変でした。
――前の工事がけっこう押したとか?
益子さん そうでしたね。舗装工事なので、前の工事が終わらないと入れなかったので、だいぶ切羽詰まった状況でした。
――益子さんは何を担当したのですか?
益子さん いくつかの班があったのですが、そのうちの一つの責任者として入りました。
――昼夜と言わず工事したのですか?
益子さん いえ、基本的には昼間だけでした。最後の数日は夜もやりましたけど。あとは、国道16号の舗装修繕工事です。初めて現場代理人を任された元請け工事で、舗装以外の工事もありました。緊張感があった分、印象に残っています。良い勉強になりました。