建築系社員として阪神高速で働く魅力とは
阪神高速と言えば、橋梁や高架橋、トンネルなど土木構造物のイメージが強いが、パーキングエリアや料金所、換気所といった建築物も、快適な都市高速機能の維持には欠かせない存在だ。これらの建築物をつくり、維持管理していくため、阪神高速には総勢25名の建築系社員が在籍している。
一方、建築系の仕事と言えば、建築設計事務所やゼネコン、デベロッパーといったイメージが強いが、果たして、建築系の職場として阪神高速はアリなのか?阪神高速で働く建築系社員の方々に、阪神高速での実際の仕事ぶり、魅力などについて話を聞いてきた。
- 寺村 省吾(てらむら しょうご)さん
阪神高速道路株式会社 保全交通部 施設管理課 課長代理 入社6年目 - 大丹生 栞(おおにゅう しおり)さん
阪神高速道路株式会社 保全交通部 施設管理課 入社6年目 - 中村 美貴(なかむら みき)さん
阪神高速道路株式会社 管理本部 神戸管理・保全部 施設工事課 入社3年目
建築を通して、人に感動を与えたい
――建築に興味を持ったきっかけは?
寺村さん 私は山口県下関市育ちなのですが、高校生のとき、勉強するために、北九州市立中央図書館に立ち寄りました。スゴく変わったデザインで、外観のデザインもさることながら、図書館内部も雰囲気があって「普通の図書館と違うなあ」と印象に残りました。後で知ったのですが、この図書館は建築家の磯崎新さんのデザインによるものでした。これが建築に興味を持ったきっかけでした。
建築を通して、人に感動を与えたい、都市や社会、まちに貢献したいと考えるようになり、大学は建築学科を志望しました。関わり方は漠然としたイメージしかありませんでしたが、なんとなく「建築物をつくりたい」という気持ちでした。
大丹生さん 建築は衣食住の一つであり、社会に貢献できる分野だと思ったので、大学で建築学科を志望しました。「建築に関われたら良いな」という程度で、建築という分野の中で「これをしたい」というのはとくにありませんでした。
中村さん 中学校のとき、国語の先生が「自分は教師にならなかったら、建築士になっていた」という話をしていました。それで、建築に対してなんとなく興味を持っていました。大学に進学する際、誰の生活にも関わるモノなので、自分の仕事にしたら楽しいかなと思って、建築学科を選びました。
私も建築に対して具体的なイメージを持っていたわけではありませんでした。なんとなく「意匠デザインや設計をやりたい」ぐらいの気持ちでした。
建築デザインはセンス。自分に向いているものは
――実際に建築を学んでどうでしたか?
寺村さん 建築はだいたい計画系、環境系、構造系の3つの分野にわかれており、普通は途中でどれかの分野に特化するものですが、私の場合は、すべての分野に興味があったので、すべての分野の授業を4年生まで受け続けました。けっこうムリして受けていましたけど、これによって、自分の得意不得意が見えてきたと思っています。
たとえば、デザインや設計はセンスが必要ですが、私にはまちづくりや都市計画といった取り組み的なもののほうがおもしろいと感じたので、研究室は都市計画・まちづくり系の研究室を選び、大学院までいきました。大学は神戸大学でした。
――デザインや設計はあきらめた?
寺村さん そうですね。あと、自分の職にするには難しいというのもありました。本当にセンスがないと、建築デザインを職にするにはハードルが高いと感じていました。
――大丹生さんはどうでしたか?
大丹生さん 私は関西大学に入学しました。デザインや意匠の授業はおもしろかったのですが、寺村さんと同じく「自分の仕事にはできひんな」と思いました。構造計算とか他の分野もあまり好きではありませんでした。「これをやりたい」というよりは、どの分野もまんべんなく学んだという感じでした。
なので、研究室もある意味、何でもできそうな建築史研究室を選びましたね。卒論は、「天神橋筋商店街の成立と発展」というまちづくりっぽい研究をしていたので、発表のとき、「なんでこの研究室でそんなことしてんねん」と友達から言われました(笑)。
――中村さん、どんな感じでしたか?
中村さん 私も製図や意匠デザインに興味があったので、そういう授業を受けていたのですが、作品を提出するのに、とにかく時間がかかるんです。提出日の数日前になると、みんな泊まり込みで作業していました。そんな中、私は勉強を進める中で、環境分野に興味を持ったので環境系の研究室に入りました。ヒートアイランド対策とか、まち全体の都市環境を改善するような研究をしていました。大学は寺村さんと同じ大学でした。
転勤せずに、長く働き続けられるか
――就活はどんな感じでしたか?
寺村さん 阪神高速は中途入社でして、新卒としては、私が就活したころは就職氷河期で、大学の推薦枠もほとんどありませんでした。私自身は建築を通してまちづくりに関わりたいと思っていたので、就職先はデベロッパーを中心に受けていました。最終的に、大手ではなく、大阪のベンチャー系のデベロッパーに就職しました。新卒入社後は、マンションを中心に、商業施設、オフィスビル、ホテルなどの開発事業の事業企画を手がけてきました。
――マネジメントの仕事?
寺村さん まあ、そうですね。とは言え、会社に入ってから一級建築士の資格をとり、建築的な仕事に関わったこともありました。
――阪神高速に転職した理由はなんだったんですか?
寺村さん 前の会社が休みをとりにくい仕事だったからです(笑)。妻はハウスメーカーで働いているので、土日は私が子供の面倒を見ていたのですが、土日も普通に仕事がありました。子供を無理やり保育園にあずけたりして、なんとかやりくりしていたのですが、そんなとき、たまたま情報収集のために登録していた転職サイトを介して、阪神高速の存在を知り、転職することにしました。
――ワークライフバランスが理由だったということですか?
寺村さん そうですね。あと、不動産マーケット自体が年々小さくなっていたので、デベロッパーの仕事もそろそろ限界かなという思いもありました。
――阪神高速について、どう思っていましたか?
寺村さん そもそも「道路会社で働く」という発想は一切ありませんでしたし、阪神高速に建築の仕事があることも知りませんでした。事業説明を受けたとき、「建築としてはかなりレアなことをやっているな」と思いました。たとえば、料金所とかパーキングエリアとか、土木構造物の上に建築物が載っかっているのが、スゴく特殊だなと思いました。
――大丹生さん、就活はどうでしたか?
大丹生さん 業界や業種などをあまり絞らず、いろいろな会社を受けていました。そんなとき、母親の知り合いがとある道路会社に勤めていて、ネットで調べてみると、道路会社にも建築職があるということを知りました。それで阪神高速を受けたという感じです。発注者なので、設計だけとか施工だけというのではなく、幅広く建築の仕事に携われることに、魅力を感じました。
――地元で働きたいというのはありましたか?
大丹生さん 引っ越しを伴う転勤がイヤだったこともあり、生まれ育った地元関西で働きたい気持ちが強くありました。あと、人生設計を立てるうえで「長く働き続けられる会社が良いな」と思っていたので、それも阪神高速を選んだ理由の一つです。
――中村さんはどうでした?
中村さん 就活に際しては、「馴染みのある関西で社会貢献できる仕事につきたい」と考えていました。いろいろ調べているとき、「インフラ会社である阪神高速が良いな」と思いました。さらに調べると、建築職もあると知りました。
――建築設計事務所やゼネコンなどは視野に入らなかった感じですか?
中村さん そうですね。私はアキっぽい性格なので、ずっと設計とか、ずっと施工とか、ずっと同じ仕事をするのは合わないなと思っていました。大丹生さんと同じく、企画や設計、施工など幅広く仕事ができる阪神高速に魅力を感じました。「長く働けそう」というのも大きかったですね。別の会社からも内定をいただいていたのですが、阪神高速よりも離職率が高かったんです。