発注者の全てを理解しようとするな
私は、仕事を行ううえで常に意識していることがある。それは、発注者の全てを理解しようとしないということだ。
こういった発言をすることで、またいろいろな意見が飛び交うだろうが、施工管理技士として長く仕事をしていきたいのならば、このマインドは間違っていないと思う。
発注者のことを理解しようと努力し、適切なコミュニケーションをとらなければ、工事評点でも高得点を獲得できないし…、自分のキャリアにも傷がつきそうだし…、と思う人も多いだろう。
まあ無理もない。発注者の評価が工事評価点に結びつくことも事実だ。しかし、それでも発注者の要望を全て聞くことは不可能だと、肝に銘じておいたほうが良い。
なぜ要望を叶えることは不可能なのか、発注者の全てを理解しようとしないとはどういう意味なのか、解説していこう。
互いの全てを理解することはできない
前提として、我々施工管理技士は発注者の業務を全て理解できているだろうか。安定計算や業務上のこと、役所内での特有の決まりごと、発注者が作成する書類、打合せの内容、お恥ずかしい話(?)など、私は全く知らない。
しかし、これは発注者も同じだ。現場の工事概要や金額は理解していても、施工管理技士の普段の打合わせ、協力会社とのお金の絡んだやり取り、地域住民との接し方、現場での必要な施工知識など、発注者は全てを理解しているわけではない。むしろ、分かっていない人間のほうが多いように思う。
少し話は変わるが、施工業者のこんな愚痴を耳にしたことはないだろうか。「施工する人間の立場になってほしい」と。当然のことながら、施工管理技士からすると、「管理する人間の立場になってほしい」と思うだろう。
生コン打設を例にとってみよう。施工する人間は、早く打設して仕上げ作業に入りたい。施工管理する人間は、打設状況やバイブレーターの挿入間隔の写真撮影など、決められたルールがある。お互いのことが分かっていても、いざ同時に行うと、無意識に相手に対して不満が出てくる。
少なからず私は、写真を撮る必要があるのだから作業を止めて協力してほしい、と思ってしまうことがある。しかし、施工する人からすれば、仕上げ作業も控えているのに作業を中断しないでほしいと、心のどこかで絶対に思っているはずだ。ここから先は、水掛け論になるので意味がない。
つまり、どの仕事においても、お互いの全てを理解することは不可能ということだ。
久しぶりに同感できる内容だった。
発注者は机上の空論で喋ってくるのが当然であるので、発注者の”お気持ちに寄り添う”ことはあっても、出来もしないことははっきりと”出来ない”と明確に主張し、代案を提示してやらねばならぬ。
そもそも、発注者の技術レベルが低いので机上の空論になっていることに気付かない。
前例主義であり、碌な根拠を持ち合わせていないのだ。
奴らの言うなりには、とてもなれぬ。
発注者側の人間ですが、本当に同意します。かつて、請負者は「言って青くなって負けるから請負だ」と言われていましたが、今の時代、言って青くなって負けるのは発注者側だと思います。なぜなら、発注者側は学ぶことを怠っており、技術や法律の進歩について行けてないからです。普通公共工事を監督するのであれば、請負者が所持している一級なり二級の施工監理技士資格くらい所持しているべきだと思うのですが、それに挑戦しようという気持ちさえ持ち合わせていない人間がほとんどです。だから、施工監督に必要な最低限の知識すら持ち合わせていない。現場に行っても、何を見ればいいか理解できない。公務員には資格手当と言ったインセンティブはありませんが、常に知識をアップデートする必要があると感じています。
下請法を遵守する世の中になればその通りなんですが、実際は怒鳴って脅して従わせるのが実情です。100%発注者側が悪くても営業を呼び出し怒鳴る、上級を呼び出し怒る、社長を呼んで怒鳴る、建設業では当たり前の日常になっているのが異常。
行政が厳しく取り締まり厳しい行政処分をしない限りこの悪しき習慣は続きます。