エクステリア分野に事業拡大した理由
――庭楽館を立ち上げた経緯は?
赤瀬 庭楽館の母体は、1970年創業の富士川商事ヤシロ店です。当時は左官材料の販売業だけを営んでいました。そこから外構資材や墓石の販売、さらに施工まで事業を広げていきました。
墓石の事業は順調でしたが、お墓は1回作ったらほぼ終わりで、そこから広がりにくい。「今は調子がいいけど、将来はどうなるか?」そんなふうに思っていたところ、ある会社がエクステリアのフランチャイズを募集しはじめたのを知って、2000年からエクステリア事業を手がけるようになりました。
――フランチャイズに加盟して、本部から仕事を回してもらっていたと?
赤瀬 そういうフランチャイズじゃなかったんですよね…。結局そのフランチャイズは3年ぐらいで潰れてしまいました。それで改めて、自社でエクステリア事業を続けるにあたって、2003年に「庭楽館」という名前にして、新たなスタートを切りました。庭楽館は「富士川商事 ヤシロ店のエクステリア部」としてのブランド名のようなものです。
諦めていたエクステリア事業の集客
――実際、「庭楽館」としてのエクステリア事業を始めてみて、受注数はどうだったのでしょうか?
赤瀬 チラシも打ってみましたが、やっぱり少なかったですね。墓石関係でつながったお客様のお庭を工事させていただくなどで細々とやっていました。エクステリアの仕事が全然ない月もありました。会社としては墓石事業のほうがずっと好調だったので、正直そんなに切羽詰まってはいなかったんです。でも、将来的な不安は常々感じていました。
ホームページも作ってはいましたが、そこからのお問い合わせは、ほぼなかったです。しかも来たら来たで、「あんたんとこ、いくらや?」みたいな感じで、値段重視のお客様ばかり。正直、「ホームページって、こんなもんや」って思っていました。