「勧告するけど世界遺産にはしない」イコモスという部外者
それでも、都城市は2019年2月、都城市民会館の解体を最終決定しました。すると、そのわずか1週間後、新たな部外者が口をはさんできました。
ユネスコの諮問機関・イコモス(国際記念物遺跡会議)が、「世界的な文化遺産の損失になるので、解体せずに再活用すべき」と勧告してきたのです。
さらに、イコモスは「国際遺産警報」(ヘリテージアラート)を出し、都城市を国際的に非難することも辞さないと宣言しました。
しかし、イコモスはユネスコの諮問機関として、建築物などを世界遺産として「適正か」を判断するだけの機関です。
つまり、世界遺産に認定するわけでもないのに、「文化的価値が壊れる」と警鐘を鳴らしてきたのです。もちろん、維持・回収に掛かるお金は出しませんし、有効な活用方法の提案もしません。
結局はイコモスの勧告の甲斐なく、解体の予算も市議会で可決されたのですが、イコモスの勧告もまた、”部外者”による無責任で傲慢な口出しに他なりません。
建築物は美術品でも骨董品でもない
そもそも都城市民会館は、当時の施工レベルや奇抜なデザインゆえの耐震強度の低さもさることながら、あらゆる箇所に大きな損傷が見られます。
人々の生活を脅かすようになった建築物はもう役目を終え、寿命を迎えているのではないでしょうか?
だとすれば、その終わりの時をしっかりと受け止め、保存や改修以外の継承方法を議論するほうが大事ではありませんか?
このような話をすると必ず、”建築に素養のある人たち”が京都やヨーロッパを引き合いに出して、「日本人は建築物の歴史や文化を軽視している!」と反論します。
しかし、実際にはそれぞれ気候も違いますし、構造も違います。建築物をすべて同じ物差しで考えるのはナンセンスです。
建築物は美術品でも骨董品でもありません。人間の生活の器です。
時間が経ち役目を終えつつある建築物にどう向き合うか。そして、建築は誰のためのものなのか。
建築に携わる人たちは、そのことをあらためて考えて直さなければならない時期を迎えているのではないでしょうか。
まさにそうなんだよね。
建築って威張りすぎです。かっこつけていて恥ずかしい。