転機となった「河津桜まつり」
――県庁ではどのようなお仕事を?
ヒロやん 最初は、静岡土木事務所に配属になり、現場を2年やりました。砂防堰堤をつくったり、急傾斜地の擁壁をつくったり、河川護岸の整備や災害復旧とか。自分で設計書をつくって、現場監督もやっていました。最初の配属先で、元々自分がやりたいと思っていた仕事ができました。
その後、県庁の道路整備課で交通安全対策の仕事を担当しました。そして、下田土木事務所に異動になって、河川、砂防、津波対策を担当しました。初めての一人暮らしで、下田に行ったのも初めてでした。河川の整備計画をつくったり、住民との対話で津波対策の検討する地区協議会などを行ったりしていました。
1年前に現在の建設政策課に来ました。今は「静岡どぼくらぶ」を担当しています。
――印象に残っているのは?
ヒロやん 下田ですね。「河津桜まつり」というのがあるんですが、河津川の堤防に年間100万人くらい観光客が来る早咲きの桜並木があって、堤防的にはリスクがあったんです。将来の川の計画を考えるときに、桜並木検討会を立ち上げて、桜を含めたまちづくりを考えることになりました。
住民の方々とワークショップなどをしながら整備していったのが、印象に残っています。いろいろな人と知り合いにもなれました。自分の仕事上の転機になったと感じています。
――転機?
ヒロやん 河川整備計画なので、最初は降雨確率などを調べていたのですが、最終的には木の根の根系の調査などを行ったり、樹木医さんと打ち合わせをしたりしました。大学のときの勉強がスゴく役に立ちました。
土木技術というよりは、住民との対話とかがメインでしたが、調整とかとりまとめとかいろいろなことをやったことで、「土木の仕事って、幅広いんだな」ということを実感しました。
JOYSOUNDで歌えるオリジナルソングを制作
――「静岡どぼくらぶ」は途中から?
ヒロやん そうですね。前任者が立ち上げたプロジェクトで、その人から引き継ぎました。どぼくらぶを発展させていくのが私の使命という感じです。展開内容として5つの柱がありますが、これは私が担当になってから考えたもので、ぶっちゃけあとづけです(笑)。
どぼくらぶには、「官民の壁を打ち破り、土木が地域の未来をつくる」というサブタイトルがあります。私たちが2年前にどぼくらぶを始めたもともとの理由は、建設業の担い手不足でした。それを解消していくために掲げた目標が、社会インフラの意義を周知しようということと、土木仕事のイメージ改善しようということでした。
行政だけでなく、民間企業などみんなを巻き込んでいこうということで、シンボルマークとしてのロゴをつくり、広め、共有する場としました。情報発信のプラットフォームとして位置づけています。運営は、基本的に交通基盤部の予算で賄っています。
どぼくらぶのオリジナルソングもつくっています。
どぼくらぶソング篇 / Youtube(静岡どぼくらぶ)
地元のコンサルさんがこの歌を使った企業PR動画を制作し、地元の放送局でTVCMとして流れました。その後、地元の業界団体さんなどが歌を使った動画を制作し、PRしていただいていますし、JOYSOUNDさんとコラボし、全国のJOYSOUNDのカラオケ店で歌えるようになっています。ラップ調にアレンジして、歌う動画もアップしています。
ロゴマークは、名刺に入れていただいています。シールやマグネットのロゴとかもつくっていて、ヘルメットにつけたり、重機につけたりとかして、PRしていただいています。
ただ、そもそもの目的である担い手確保について、今のところ目に見えて効果が上がっているわけではありません。1年や2年PRして担い手が増えるわけはないので、10年とかそれぐらいの長い話になると思っています。
今後とも、ICTの導入・普及や働き方改革などを含め、どぼくらぶを通じて、戦略的なPRを進めていきたいと考えています。