迷いなく奥村組に就職
――大学に進んでからは?
岡村 大学の土木工学科に入ったのですが、入学後は浮かれて遊んでいたので、橋のことなんてすっかり忘れてしまってたんですけど(笑)。今思えば、大学1年生の終わりに瀬戸大橋が開通し、青函トンネルも同じ時期に開通しました。こういうでっかいプロジェクトを「これから学ぶことができるんだ!」という気持ちでいましたね。
研究室は土木施工学でした。硬い岩盤に関する研究で、トンネルを掘ったときの挙動を予測するための実験などをしていました。実際のトンネル工事現場に、作業が休みの日曜日に行って実験していました。
岩盤に小さな穴を掘って、計測器を入れて、どのくらい力をかけるとどのくらい変形するかを測定し、そのデータを使って前方の予想ができないかなどを調べていました。
研究の内容が現場に近かったので、就職先は「手に触れるようなところで、ものがつくれる仕事が良いな」ということで、ゼネコンを迷いなく選びました。
トンネル工事の現場から始まり、現在は奥村組の経営計画を担当
――奥村組ではどのようなお仕事を?
岡村 入社してからは、8年ぐらいトンネルの施工現場に携わりました。願ってもなかったトンネル工事を主に担当しました。
一番最初の現場は、京都市営地下鉄東西線のトンネル工事で、御陵駅から蹴上駅を結ぶ区間を担当しました。この現場をきっかけに、いくつかの山岳トンネルの現場をやりました。
その後、土木技術部に異動になり、現場の技術支援や発注者への説明資料の作成など、途中で部署異動もしながら延べ8年くらいやりました。さらに営業も3年くらい経験し、今の経営企画部に来ました。
現在は、会社の中期経営計画を作成したり、経営者に対して経営判断するための資料を収集したり作成したりしています。土木だけでなく奥村組全体を、そして建設業界全体を見なければならない立場にいます。
――現場は全国各地を回られた?
岡村 全国各地とまではいきませんが、主に関西で京都、滋賀、兵庫などの現場を回ってきましたね。一つの現場に2〜3年ぐらいいました。
二重生活を考慮してないから転勤が嫌だ、ということをもっと認識すべき。
ほとんどのゼネコンでまだまだ配慮が足りない。
職業柄仕方ないけど、僻地転勤を誇りに思える人ってごくごく少数でしょう。
給与と休日と帰省の手当が十分にでる仕事だといいんですが、ほとんどの現場はどれも満たせない現状が解決された上での美談ならいいんだけど。
給与に飛行機代と新幹線代見込んだ分割り増して控除受けられるような社会になってから偉そうに語れや。20代で結婚しようとしても大して給与高くねーんだよ。たとえスーゼネでも………..
誇りなんて美辞麗句で片付けようとするなよ。精神論を語り出すと時点で終わってることに気づいて欲しい。昔の自分は間違っていなかった正しかったっていってる老人レベル。
家族や友達と一緒に過ごせない仕事が誇りある仕事とは言ってはいけない。
楽しさは最大だが、幸福度は最底辺の仕事だと真実を言うべき