コンクリートの橋をやりたい
――土木の世界に入ったきっかけは?
下大迫さん もともとは建築に興味があって、「自分の家を設計してみたい」という思いがあったのですが、自分の家の設計が終わったら、次はどうしようかなと考えたときに、「やっぱり土木かな」と考え直しました(笑)。土木をやるなら「大きな構造物をつくってみたい」と考えるようになりました。トンネルだと全体像が見えないので、「橋梁にしよう」ということで、大学で土木工学科に進みました。きっかけはそんな感じでした。
――大学ではどのような研究を?
下大迫さん 大学にプレストレストコンクリート(PC)の先生がおられたこともあって、コンクリートの橋を勉強しました。なぜかメタルには興味が行かなかったですね。コンクリートの橋をやりたいということで、とあるPCの橋梁メーカーに入社しました。1995年のことです。
――橋梁メーカーではどのような仕事を?
下大迫さん 1995年に、PCの橋梁メーカーに入社しました。以来16年間、新設橋梁工事のほか、小学校の耐震補強工事などの現場を担当し、ほぼ現場一筋でやってきました。2011年に国際建設技術研究所という調査会社に転職しました。この会社で今の真鍋社長をはじめ、COREの設立メンバーと出会いました。
これからは新設ではなく、維持管理かな
――PC橋梁メーカーを退職した理由は?
下大迫さん PC橋梁のビッグプロジェクトが年々減っていく中で、勤めていたPC橋梁メーカーの業績も悪化し、会社更生法の適用を受け、他の会社と合併するような厳しい状況になりました。会社として希望退職者を募っていたので、それに応じたわけです。「これからは新設ではなく、維持管理かな」という考えもありました。退職したときに、ちょうどPC橋梁の点検診断に関する求人をだしている会社、国際建設技術研究所があったので、そちらに転職しました。
――そこからCOREに移ったわけですね。
下大迫さん そうですね。真鍋社長から「会社立ち上げるけど、どうだ?」という電話がかかってきて、二つ返事でOKしました。
――COREに入社してからはどのようなお仕事を?
下大迫さん 私は名古屋出身で、前職の仕事は、基本的に名古屋勤務でした。2013年にCOREが設立されたのですが、本社は大阪なので、最初の1か月ほどは名古屋から大阪に移り現場へ通っていましたが、東京に支店を立ち上げることになったので、そちらに参加しました。東京支店には1年半ほど勤務しました。立ち上げ当初は自分で現場に出て、損傷図や補修図を書いたりしてきました。
その後、また大阪に戻ってきたのですが、今度は高知の仕事が忙しくなったので、高知の現場事務所立ち上げに参加し、1年ほど高知で仕事をしました。それが終わってからは、ずっと大阪勤務です。家族は名古屋にいるので、単身赴任です。
――単身赴任は問題ないですか。
下大迫さん PC橋梁メーカーのころから、数週間現場で過ごしていましたので、私が家にいない状態は、私も家族も慣れているので、問題ないです。家族には、特に妻には感謝しています。
インフラ長寿命化を国が大々的に謳っているにもかかわらず、結局すべてを業者に発注する形態は変わらないのが現状
そのような状況で、役所の担当者のスキルが上がるわけはないだろうし、修繕を含めた計画など立案できないだろう。
現実は本当に厳しいです。