津和野藩主への献上米とされていた
大井谷地区は棚田百選にも選ばれている棚田で、約600年前に開拓されたと伝えられている。
周囲の山々から水が湧き、日当たりのよい南向きの斜面という条件の良い場所が選ばれ棚田が築かれている。そのため、そこで採れる米は美味しいと評判だったそうで、津和野藩主への献上米とされていたそうだ。
一般に、棚田の地域では「献上米だった」という話をよく耳にする。江戸時代、各藩はこぞって河口付近や河川の氾濫原などの平地を新田開発していたが、藩主が食べるお米は棚田米と思うと、これからの中山間地域の活性化にも希望が持てる話である。
環境と農業の両立を目指してきた地域
大井谷の棚田は大部分が地域の石を利用した石積みで構成され、昔から修繕を繰り返して維持されてきたと言われている。棚田の中に中国山地特有の赤い屋根の家が点在し、この地域ならではの風景を見せている。
この棚田のある柿木村(現・吉賀町)は、1980年代から農業者らのグループが有機農業研究会を発足し「有機農業は生き方」であるとの考えをベースに自給を優先した農業を行ってきた。
1991年には柿木村の総合計画で「健康と有機農業の里づくり」が中核に据えられ、村を挙げて環境と農業の両立を目指してきた地域である。合併後も吉賀町まちづくり計画の中で有機農業の推進が謳われ、その体制は引き継がれている。
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