発注者は”顧客”である
建設業界は、サービス業だ。私たち建設技術者は、工事というサービスを売っている。
サービスである以上、顧客のニーズに応える必要が出てくるわけだが、私たちにとっての顧客は「発注者」となる。
だが、建設業界が特殊なのは、お金の支払いが間接的であるということ。そのため、”発注者に対するサービス”の意識が希薄になりがちだ。
しかし、発注者の立場に立ち、彼らの判断基準を理解し、適切なサービスを提供できれば、必ず技術者にとってプラスになって返ってくる。
発注者の信頼を勝ち取るには
まずコミュニケーションを通して、信頼関係を築いておくことは大前提となる。ここで大事なのが、発注者と一緒に物事を考えること。自分の中で施工方法や工事のビジョンが固まっていたとしても、一緒に打ち合わせを行い、両者合意の意思を確認することで、親身になって考えてくれているという親近感が生まれるだけでなく、自らの判断も介在することになるので、変な点数はつけられないという心理状態になる。
高得点を獲得する技術者は、発注者との打ち合わせの回数が多い傾向にある。工事の進捗と共に、こと細かな打ち合わせを発注者を巻き込んで行っている。人によっては、安全パトロールや安全会議などの社内の検査にも発注者を招き、安全管理のほどを臨場感をもってアピールする人もいる。
また、打ち合わせの回数が多いと、発注者との意見の相違を防ぐことができる。自分が想定していた工法や書類とは異なるものが上がってくると、不信感を抱かせるきっかけになるし、失望感にも通じる。そのため、発注者に提出する書類は郵送で済ますのではなく、直接出向き、対話をする時間を作ったほうがいい。
真なる顧客は納税している国民。発注者はあくまでも発注元の長であって出先機関は単なる窓口です。少なくとも私の中ではですが。
故に発注窓口担当者の安パイのための書類や施工、意味の無い施工、住民に伝わらない(役人の自己満)お知らせ、意味のわからない(逆に危なくないそれ?)みたいな安全指示等、納得できる理由が無い場合は断固やりません。当然理由があれば別です。
密な打ち合わせには賛成ですがリモートでいいです。馬鹿みたいに4部も5部同じ資料つくる必要もないです。前例踏襲主義よりも住民側にたって現場ごとで検討しないからクレームが減らないのだと思います。
この記事を書いた方は発注者目線すぎ。発注者と言えば聞こえは良いが、彼ら全員が良識を持った人ばかりではない。協議事項をいつまでも回答をしない人、工期終盤にいきなり工事量を増やす人。工期に余裕があるのに工事が終わる前に設計変更数量の提出を求める人、やらせるだけやらせて金を払わない人、完成検査では自己保身で仕様書や特記仕様書にも無い無駄な書類を用意させ自己保身で全てのミスを施工業者に被せる人。完成書類だって追加で作らせるなら金を出して欲しい。
書いたらキリが無いが私達をぞんざいに扱う方々をパートナーとしてはみれない。この記事の筆者は発注者と関わった経験が乏し過ぎる。
公共事業の発注者の場合は違うね、全くの誤認識、こんな現場を知らない者の考えが無責任、当事者意識皆無の税金泥棒をのさばらせる
民間と公共とは違うと思いますが、言えることと思います。
特に個人住宅では。
以前、ある地方新聞に有りましたが、医者もこれからは接遇が大事になる、と。
建築業界(特に個人住宅)の世界はそうだと思いますね。
お客さんとのコミュニケーションが上手く取れていれば、クレームは限りなく少なくなります。
甲乙対等やろ。そもそも、こっちは納税者でありエンドユーザーだ。
こんな記事があるから「腐れ公僕」どもが勘違いする。そしてもっとひどいのが所謂、補助監督員とか委託監督だ。何の権限もないくせに偉そうな物言いをする奴が多すぎ。黙って黒板だけ持ってろ。
これは本当にそう。
1部書類が余計に増えて、連絡の手間も結局監督員と補助両方に取るので生産性悪すぎ。
この人の記事はいつも薄っぺら
大きくは外してないけどちょっと外れてる
現場に深く関わっていないんだろうな
建物が建つのに必要な物理的コストは常に一定。問題は誰がその仕事をやるか。
発注者が有能でなんでも自分でやれればその下の作業員は楽だし、
発注者が無能で口だけの奴ならその分作業員やサブコンの監督がわりをくう。
作業員は金をもらえるかがかかってるからその現場の作業は嫌々であっても完遂するが、発注者が作業員を評価するのと同じように、作業員もまた発注者を見定めている。