「地元住民の命を守るため」に復興工事に尽力
発災から1年後、本格的な復興工事が発注され始めた。金戸さんも、北上川下流地区の地盤沈下を受けて、堤防の嵩上げ・機能強化を行った。
その後も、石巻地区では浄化センター施設内の舗装等災害復旧工事、河川築堤工事を、また近隣の女川地区では、漁港施設の災害復旧工事、トンネル工事2件、道路改良工事など、様々な現場を担当。どれも、地元住民の命に直結する工事だ。10年間、愛する地元のために、身を粉にして働き続けた。
多くの復興工事に携わってきた金戸さんだが、中でもトンネル工事が思い出深いと話す。丸本組70年余りの歴史の中で、単独受注によるトンネル工事を行うことは初めての試みだった。その現場代理人を任されることになったからだ。
だが、見たこともない専門機械、聞いたことない用語ばかり。自分に現場代理人が務まるのか、不安とプレッシャーに押しつぶされそうになった。だが、トンネル工事有識者として、 唯一の存在になれるチャンスでもあると思考を変えた。必死に専門書を読み学んだ。
昨年12月、2本目のトンネルも無事に竣工を迎えた。初めてのトンネル工事が無事に完成した時の安堵と達成感は、今でも忘れられない。このトンネルも、復旧・復興工事の一部となり、地域のライフラインの向上、有事の避難道路として活用されていく。
地域の建設技術者の思いが、時代を紡ぐ
発災直後から地元のために奔走した金戸さんだが、自身も被災者である。金戸さんの自宅は、海に面した石巻市の渡波(わたのは)にあった。発災当時、自宅には母と病気で寝たきりの祖母がいた。
家族の身を案じたが、金戸さんは復旧活動を優先した。1週間後、作業の間を縫って自宅へ戻ると、激流に飲み込まれ、倒壊した自宅が目に入った。ガレキの中に、逃げることのできなかった祖母がいることは分かっていた。だが、自衛隊からは「身元がはっきりしている人の救助は後回し」だと言われた。
会社からユニック車を借り、先輩らとともに、自ら自宅のガレキを取り除いた。祖母の亡き骸を掬い上げ、遺体安置所へと運んだ。母の行方はしばらくの間分からなかったが、数日後、市場に貼ってあった身元不明の犠牲者の写真の中に、母の姿を見つけた。金戸さんは、天涯孤独になった。
自宅も家族も失った。それでも地元の復旧に身を捧げ続けた。金戸さんを突き動かしたのは「地元の人間の意地。ただ、それだけです」。
建設業界は、若者の入職が少ない。特に、人口減少が続く地方では顕著だ。だが、丸本組には毎年多くの若者の入社がある。金戸さんも、母校の石巻工業高校で出前授業を担当。自身が建設業界を志すきっかけとなった『シビルエンジニアリング=市民のための技術者』という言葉を伝えている。こうした金戸さんらの「地元・石巻のために」という思いは、10年経って、当時の子どもたちに確かに受け継がれている。
この10年で金戸さん自身も結婚し、今では3人の子どもをもうけた。この子たちに胸を張って「これは、お父さんが造ったんだぞ」と言えるような、いい仕事をしていきたいと思ってやまない。
震災から10年の月日が経ち、宮城県では公共工事における復旧・復興も終盤を迎えている。だが、今後は造ったインフラの維持管理も重要になる。 まだ終わりではないし、終わることはないのかもしれない。「自分が住む町を守っていけるという誇り・自信を持ち続け、これからも建設業に従事していく」と語る金戸さんの思いは、これからの石巻を紡ぐ礎となっていく。
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東方大震災で家族を亡くしたのほ彼だけではないし、東北の業者は官民一緒に同じ思いでこの10年を生きて来ました!
1つの会社だけを取り上げるのは提灯記事ですか?
普通に考えて全部の企業を取材される方が難しいでしょう?当日の事を話したくない企業や人だっているでしょうし。なぜそんな考えしかできないのか不思議でならない
意地で復興するのは良いけどさ、昔からの土地の伝承で何度も津波に襲われてる土地じゃなかったですか?
愛するのは構わないけど防潮堤どうこうじゃなくてさ、津波にさらわれない安全な場所に居住区を作るべきじゃないの?
それ言うなら日本で安全な場所なんてないから中国の真ん中にでも住んだらいいよ