Hさんとの最後の挨拶
そう思えば、数日前にHさんの仕事ぶりに関して、他の作業員が話してるのを聞いたことがある。
その作業員は、「いくら仕事ができても、あれだけ丁寧過ぎるほど時間を掛けていたのでは、他の作業員とのバランスが取れないよなぁ!」とぼやいていた。
作業量に関しては、一日で仕上げる内容は伝わっているハズだし、もし仮に伝わっていないのであれば、伝えればその時間内に終わらせることだって可能だと思うけどなぁ、とその時は聞きながら思っていた。
やはり職人気質な人間は、周りから煙たがられるのだろうか…。
Hさんが現場を出る時、挨拶に来てくれた。
「またどこかに来てくれと言われても、もう次はない!もう嫌だ。モノじゃないんだから。ポイッと捨てるようなことされたら、誰だって腹が立つでしょ?これからは普通の現場で、当たり障りのない仕事をしますよ!でも野口さん(私のこと)には世話になった。残念ですけど、今日でお別れです!」
Hさんと最後の挨拶をし、握手をして見送った。
腕のいい職人がドンドン辞めていく
Hさんに限らず、今までこれと似たような話は、色々な現場で見たり聞いたりしてきた。最後にHさんは「今日でお別れです!」と去っていったが、今まで同じようなセリフを随分聞いてきたことを思い出した。
これが原因で、腕のいい職人がまた一人、表舞台から姿を消すかも知れない…。これはかなり前から感じていることだ。
腕のいい、まともな職人さんがドンドン辞めていく。口は悪いが、あの人に任せてけば安心だ!と思える職人が、次々と同じようなセリフを吐いて去っていく。
一番大きな原因は、まともに工事や現場のことを知らない現場管理者が増えたからだと思う。
何も知らないから、上から言われたことを何の疑いもなく作業員に指示する。ところが、技術や経験がある作業員たちはそれに納得しない。だが、無能な現場管理者は、納得しようが、しまいが、無理やり作業をやらせる。
その結果、「こんなところで仕事なんかやってられない!」と作業員の不満が募り、現場から姿を消していく。そして、このパターンが繰り返される。
職人の技術の伝承だけでなく、今度は、現場管理者の知識の伝承がなくなり、もはや歯止めをかけるモノがなくなりつつある。
『赤信号、みんなで渡れば怖くない!』そんな心境で、管理者が工程だけを追っていたのでは、品質を保った仕事などできるハズがない。
何が正しくて、何が間違っているのか?管理者がその判断さえできなくなったら、これから一体、建設現場はどうなるのだろう?
さらに、そういう時代になったとしたら、いい仕事の評価も変わっていくだろう。文句を言わず、言われたことだけをハイハイと、とにかく早く仕上げることが、できる職人の基準になっていくのだろうか。
その時に、私などが「いくら早くてもこんなんじゃ駄目だよ!」と言ったところで通用しないだろう。残念だが、今やそれに近い状況があっちこっちで散見される。
もう手遅れなのだろうか。
2007年問題から14年も経ったんスから大丈夫じゃないスか? by 適当マン
責任取れないんだから監督の意見を優先するべき
腕のいい職人とは的確な仕事を効率よく短時間でこなせる職人です。
効率を考えず丁寧な仕事なら、職人でなくても出来ます。
経験年数には勝てない。
まず聞いてみてからの判断は出来ないのだろうか。
お互いが歩み寄らないでどーする?
できないまま年数のみすぎている人もたくさんいる。
経験年数には勝てない。
まず聞いてみてからの判断は出来ないのだろうか。
お互いが歩み寄らないでどーする?
どれだけ効率良く、かつ品質確保ができるかどうかの相談をすべき。
どちらか一方の考え方を押し付けあってもいいものは作れないのではないだろうか。
応援先で指示に従わない、期日に間に合わせないのは腕がどうこう以前の問題だと思います
私の知る限り『出来る人』は我を通すことも、技術をひけらかすもなく協調して仕事をやり遂げます
要求されている以上の品質は個人の「拘り」だし、「腕の良い職人」でないとできない個人に依存する仕事はリスクでしかない。一匹オオカミでやってる?なら行ったところのやり方にあわせるもの。
どうせ施工方法に指示があるのに、こっちの方がやりやすいからとか自分にとって都合の良いこと言ってるだけだろ。そういうのを老害って言うんですよ。