マニュアル化による弊害
皆さんの周りには、マニュアルを作りたがる人はいないだろうか。私の周りでは非常に多かった。しかも、現場を見て作るのではなく、机に向かって理屈で色々考える本社の人間に限ってそうだった。
マニュアル化したほうが管理が楽だからだろうが、本社の人間によって無理やり作られた枠にはめ込まれた内容は、現場の実態とはかけ離れており、現場の人間や作業員の関心を捉える魅力的なモノではなかった。
マニュアル化すると、微妙なところがドンドン削られていく。それ自体は、業務が整理され良いことにも感じる。だが、本当は、その削られた微妙なところこそ大切なのではないかと思っている。
その微妙なところが建築の個性となり、その現場独特の最適解をもたらす根拠となり、それは同時に、その現場に関わる若手の現場管理者を育てる要素にもなる。それが軽んじられるとどうなるだろうか?
その現場独特の問題を最適解ではなく、一般解で解決しようとするだろう。その結果、建築は一様になり、独自性のない個性の欠片もないモノになってしまう。それが良い!となれば誰も工夫しないだろうし、挑戦もしなくなるに違いない。
仕事の多くが挑戦や冒険などとは無縁で、当たり前の一般的なやり方を踏襲するのは事実だ。だが、なにか問題にぶつかった時、最適解を求めようとすれば一般解ではなく、応用を利かせた方法を考えるほうが自然だと思うが、少しずつ、現場の人間はそれを口に出さなくなっているように感じる。
「言ってもどうせ駄目だろう」と、半分諦めているようだ。それでもなんとか粘って、自分の判断で機転を利かせ、応用解で乗り切ろうとする人たちが居るうちはまだいい。だが、いずれそんな人たちも居なくなり、全てを杓子定規な解答でしか解決できない、サラリーマン管理者ばかりになるだろう。
そうなると技術の進歩は望めない。応用に応用を積み重ねた現場でこそ、技術者の成長、技術の進歩に繋がると思うからだ。
マニュアル化が進むことで、自分が出る杭になって打たれるのを極端に恐れる日本人サラリーマンの風潮が、建設の現場管理の世界をも覆い尽くし、技術の進歩と定着を阻害し始めていることに危機感を感じている。
ある程度のマニュアルや基準がないと業務が属人化してしまいます。◯◯さんしかできない仕事というのは、企業からすると非常にリスクが高いです。仕事に再現性を持たせるという意味ではマニュアルがあった方が良いかと思います。マニュアルが実態に合わないのであれば、マニュアルを変えるよう働きかける方が建設的でしょう。
現場来ないやつが作ったマニュアルなんて、絵に描いた餅。
本社の人間は現場の人間にマニュアルを書かせることが仕事。
さらに、そのためのマネジメントをするのが仕事。
中にはまともな人もいるけど、実際の所大多数が
・マニュアル何て現場に合わない云々(実際マニュアルを、書類を作れない人
・俺は仕事を分かっていると発言(法令違反の上人に教える気が無い
・最近の若い者は~と文句(法規に明記されていなくとも、個々の現場の特記、契約時効に明記
つまりなんとなく仕事を続けてきただけで、技術レベルは大して高くなく、というか法令違反な上、低品質で最新技術に否定的で教育を放棄してそのうえで俺は優秀だ!と豪語する人が多いだけ(全員ではない
使えないマニュアルは必要ないけど
使えるマニュアルは絶対に必要だと思うが。
マニュアルのせいで技術進歩云々は見当違い
俺がもう一人いればなあと
思うのでしょう
身に覚えがあります