現場監督関連の配信はコメントが非常に多い
現場監督の情報配信をしていて思うことがあります。
それは、コメントが非常に多いということです。以前、間取りに関する情報配信をしていました。そのときに見ていた視聴者のほとんどは、家を建てようとしている女性でした。
そのときに寄せられるコメントは、視聴数に対してあまり多くなく、またコメントの内容も非常に短い文章や質問ばかりが目立ちました。だからよくないというわけじゃなく、特に気にしてはいませんでした。
これに対して、現場監督関連の配信をしていると、視聴数に関係なく非常にコメントが多く寄せられます。そして1つ1つがとても長文なものが多いと感じています。理由を考えると、職業柄長文に慣れていたり、伝える能力が高いからなのかなと思ったりもします。
そんなコメントを見ていくと、現場監督は大きく2つに分かれているような気がします。これはあくまで僕の主観ですが。
一方は、ゴールに至るまでの考え方を、一定のルールに基づき根拠立てることで合理的な判断をしている人たち。そしてもう一方は、ゴール地点を見据えたときに、そのプロセスは自由なんだと考える人たちです。
端的に言えば、「設計図や仕様書に書いてあること、教えられた技術を忠実に守る」側と、「最終着地は決まっているが、そこまでのやり方は自由に考えて作り上げる」側に分かれている気がします。
もちろん、出来上がる成果品に大きな差はないでしょうし、どちらが正解だというつもりもありません。ただ、それは「現時点」のことだけを考えた場合の話です。
おあしす運動
「おれじゃない」
「あいつがやった」
「しらない」
「すんだこと」
決まりだからって盲目的に言うのは確かに改善の余地はあるのだけれど、そもそもとしてその数字は過去の何十万、何百万、何千万という人間が関わった上で出した数字であるのも確かなものなのでそれを覆そうとすれば相応の労力なり説得力が必要にはなるんだよね
掘削単価にしても過去の大勢の平均から算出したものであって誰しもが特出したおぺれーの最適な数字を出せるわけではない
オペレーターにも腕前ってのは歴然とした差があるわけで、超一流の人が最適な条件で出した数値を、平凡なオペが最悪な条件で出せと言われても不可能なわけで
ではどのようにパフォーマンスを発揮してもらうかとなると条件を整える必要があってそれにはまたかねがかかるというね
そうやって算出していくと結局は平均値っものにたどり着く
それが所謂単価ってものになってくる
それを覆そうというのだから過去の積み重ね以上のものを出せる人間でもなければ出来ないのよな
確かに極々一部の人間であればタイミングや条件さえ揃えばそれらを覆すことも不可能ではないけど殆どの人間にとってはやるだか無駄なことでしかないってのが現実
チャレンジしようという時点で人間の0.01%以上の上澄みであるという自信でもなければやるだけ無駄なのよな
それが歴史、積み重ね等の重み
またしてもズレてるなぁ。
ゴールに対して”自由なルート”を辿るにしても、資格によって技術を担保される立場なら、法令を踏襲しつつ新しい考えを取り入れるのが当然。
そんなことは当たり前で、全てがルール上に則って施工することは無理。まるで現場出たことないような浅い話だ。