日本の国力にとって、港湾はメチャクチャ大事な玄関口
――「港湾でこれをやりたい」というものはありましたか?
吉松さん 日本は島国です。日本の輸出入の取扱量のうち、海上輸送の占める割合は約99%、ほとんど海から出入りしています。日本の国力、経済力にとって、港湾はメチャクチャ大事な玄関口なんです。日本は災害大国でもあるので、防災や災害復旧においても、港は非常に重要な役割を果たします。
たんに海が好きというだけでなく、日本の国力、国土にとって、海はスゴくスゴく大事な存在であるわけです。それが、私にとっての海の魅力です。抽象的ですが、「世界から見た日本の港湾、日本の港湾から見た世界」といったところに関わる仕事をしたいと思っていました。
――「河川でこれをやりたい」というものはありましたか?
佐野さん 漠然と「河川管理、メンテナンスをやりたい」という感じでした。デスクワーク半分、現場半分ぐらいの仕事のイメージでした。
――「道路でこれをやりたい」というのはありましたか?
市川さん 私は、道路の魅力は、みんながずっと使ってくれるところ、生活に直結しているところだと思っています。なので、そういう大事な道路ができ上がっていく現場を見たい、関わりたいと思っていました。
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学校で習ったことはほんの一部でしかない
――最初の職場はどうでしたか?
吉松さん 最初の配属先は高知港湾・空港整備事務所工務課に配属されました。工務課は予算管理が主な業務ですが、私は事務所全体の業務全般について、浅く広く担当させていただきました。できるだけ現場にも行かせていただきました。
平面図を見ていたら、「それ、向きが逆だよ」と指摘されながらスタートでした(笑)。「わからないことがわからない」状態でした。質問もできませんでしたし、質問できても、回答の意味が分かりませんでした。でも、2、3年経ったら、「わからないことがわかる」ようになってきました。上司も業者さんたちも手取り足取り教えてくださって本当に感謝です。

四国山地砂防事務所時代、小学校で出前講座する佐野さん(四国地方整備局写真提供)
佐野さん 私は四国山地砂防事務所の調査課でした。砂防堰堤の設計や堰堤の配置計画を検討する業務の発注や広報などを担当していました。2年目は工務課に移って、堰堤工事の発注などを担当しました。設計から工事発注までの流れを見れたのは、良い経験だったと思っています。
砂防は河川の業務であり、砂防がどういうものか一応知ってはいましたが、自分がはじめに携わるのが砂防になるとは思っていませんでした(笑)。最初は、図面を見ても、なにを議論しているかよくわからなかったですし、そもそもどういう力学で成り立っている構造物なのかも理解できませんでした。先輩に教えてもらったり、自分で勉強したりして、なんとか仕事を覚えていきました。
現場にも何度も足を運びましたが、基本的に山登りなので、これが一番ツラかったです(笑)。道なき道を登って行ったこともありました。現場も四国各県に点在していたので、現場一つ行くのに、片道2時間かかることもありました。今振り返ってみると、唯一の経験ができた職場だったので、砂防は砂防で興味深い仕事だったし、楽しい職場だったと思っています。

中村河川国道事務所時代、現場視察する市川さん(四国地方整備局写真提供)
市川さん 中村河川国道事務所工務二課でした。高規格道路の工事発注などを担当しました。完成間近の現場を見に行って、図面や計画と照らし合わせたり、発注に必要な積算をしたりする仕事などをしていたのですが、なにもわからなかったです(笑)。
高専で見る図面は、ほぼ構造物単体の図面だったので、比較的わかりやすかったのですが、実際の図面は、構造物単体の図面もありましたが、平面図などになってくるといろいろな線が引いてあるので、「ん、この線はなんだ?」という感じで、まったく理解できなかったんです。
先輩などに教えてもらいながら、図面の見方を覚えていきました。自分で見れるようになったのは2年目以降でした。あと、積算のやり方についても、先輩に手取り足取り教えていただきながら、覚えていきました。思っていた仕事のイメージと全然違いました。正直、「学校で習ったことはほんの一部でしかなかったんだな」と思いました。
ちなみに、私の在籍中に片坂バイパスと大方改良という区間が開通しました。実は、片坂バイパスのとある橋梁へは私が高専生のころに工事中の現場を見学していたのですが、事務所で現場見学の写真を整理して、「あれ、これ私じゃない?」と気づくまですっかり忘れていました(笑)。
1年間休職して通信制大学で国際関係を学ぶ

JICA研修員に説明する吉松さん(四国地方整備局写真提供)
――最初の配属先以降はどのような職場でしたか?
吉松さん 本局に戻り、港湾事業企画課で予算管理やリクルートなどを担当していました。印象に残っているのは、自分自身は参加したことがなかった事業説明会に、職員になってから参加したことです(笑)。
その次は、高松港湾空港技術調査事務所技術開発課に行きました。ここでは初めて設計業務に携わりました。ここはトータルで3年間在籍していたのですが、そのうち1年間は、自己啓発のため、休職し、20才のころに入学した通信制大学に専念させてもらいました。国際関係の勉強だったんですけど、「土木じゃないんかい!」と職場のみんなに突っ込まれました(笑)。自分が興味があったので勉強しただけですが、いつかこの知識も仕事に役立てられれば良いなと思っています。
佐野さん 私も同じく本局に戻って、河川工事課に配属になりました。「やっと河川に携われる、良かった」と思ったのですが、担当の工事がほとんどトンネル工事だったので、また新たな挑戦でした(笑)。ここ数年、現場から遠ざかっているのも残念です。ただ、災害時の対応について考える機会や事務所の話を聞くことができる環境があったので、河川の仕事はこういう世界だというのに触れられたのは、勉強になりましたし、良かったと思っています。
市川さん 人事交流ということで、河川系を希望したところ、四国山地砂防事務所調査課に配属になったのですが、正直「河川じゃない」とは思いました(笑)。砂防に関しては山の中にあるぐらいしか知りませんでしたが、どこに砂防堰堤をつくるか、排水トンネルをどこに掘るか、地すべりを監視するといった調査業務を担当しました。また、集水井などの地すべり抑制工の修繕発注なんかも担当しました。砂防ライン、地すべりライン両方経験させていただきました。
前の職場の経験を活かす機会があまりなかったので、スゴく困った記憶があります。たとえば、2年間ずっと土積というシステムで積算をしていたのですが、砂防事務所では調積というまったく別のシステムを使っていました。システムの使い方をまたイチから覚えなければなりませんでした。今の職場も、それまでの職場とは毛色が違っています。正直、異動するたびにどうすれば良いかわからなくなっています(笑)。ただ、今となっては、どんな職場であっても、仕事で経験したことはいずれ自分の力になると信じています。