国土交通省の仕事はどう映っているのか
松山河川国道事務所長の中屋正浩さんに取材する機会を得た。同事務所では、松山市街地の渋滞解消に向け、松山空港と松山自動車道を結ぶ松山外環状道路を整備中だ。
それはそれとして、中屋さんは、四国地方整備局採用かと思いきや、鹿児島出身の九州地方整備局採用。本省勤務を経て、初の四国勤務となった珍しいパターンの経歴を持つ。
そんな中屋さんにとって、国土交通省の仕事はどう映っているのか。これまでのお仕事を振り返っていただきつつ、お話を聞いてきた。
公務員のほうがなにかと自由がきくかな
――国土交通省に入省した理由はなんだったのですか?
中屋さん 私はもともと、九州地方整備局の職員です。鹿児島出身で、「地元で働きたい」ということで、九州地方整備局に入りました。
民間も考えたのですが、両親も公務員だったので、「公務員のほうがなにかと自由がきくかな」ということで、公務員を選びました。九州管内の異動はありますが、「同じ九州なら、いつでも鹿児島に帰れるだろう」と考えていました。
道路以外やったことがない
――九州地方整備局では道路、河川どちらでしたか?
中屋さん 私は道路です。道路以外はやったことがありません。道路の中でも、予算とか事業計画の仕事が長かったです。東九州自動車道や鹿児島の川内道路のほか、いくつかのバイパス道路建設や計画づくりに携わりました。
――九州地方整備局にはどれぐらいいたのですか?
中屋さん 30年ぐらいですかね。本局勤務が長かったです。その間、本省にも6年間ほど出向しました。
――本省出向中はどのような仕事をしていましたか?
中屋さん 予算や計画・施策のとりまとめとか、建設やメンテナンス事業のとりまとめなんかをやっていました。ここに来る前は、本省の道路メンテナンス企画室の課長補佐をしていました。
――そういう人事があるんですね。
中屋さん ええ、自分の出身以外の地方整備局に配属された職員は、自分も含め何人かいます。
――現在も出向中という扱いなんですか?
中屋さん そこのところは自分でもよくわかりません(笑)。私の出身が九州地方整備局というだけで、国土交通省の一職員ということは変わりません。