先代社長への思い、新社長としての抱負
高知県東部で建設業を営む有限会社礒部組。先代社長の死去に伴い、昨年5月に3代目社長に就任した礒部英俊さんに取材する機会を得た。
礒部さんに取材するのは今回が初めてではない。4年ほど前、常務だった礒部さんに対し、地域建設会社の後継者のホンネに迫るという切り口で、匿名記事(身内にはバレバレだったが)を出している。
今回取材したのは、以前はこんなことを言っていたが、実際に社長になってみて、心境の変化などはあったのか。その辺を確かめたいと思ったからだ。ということで、晴れて顔出し名前出しというカタチで、先代社長への思い、新社長としての抱負などについて聞いてきた。
不治の病を患っていた先代社長
――お父さんである先代社長が亡くなったタイミングで社長になられたんですか?
礒部さん そうしました。2022年5月に66才で亡くなったのですが、その日に社長になりました。
――先代社長はご病気で?
礒部さん ええ、治らない病気でした。徐々に肺が固くなり、呼吸ができなくなる病気でした。死後に調べたら、発症からちょうど10年経っていました。年を追うごとに病気が進行して、初めのころは咳が出ていたぐらいでしたが、亡くなる2年ほど前から症状が重くなり、酸素ボンベが手放せなくなりました。亡くなる数ヶ月前には、酸素ボンベでは足りなくなり、自宅から出られなくなりました。
決算だけは一切触れさせてくれなかった
――亡くなる数ヶ月前からお仕事ができない状態だったわけですか?
礒部さん そうですね。代表取締役副社長として、実務の比重は私のほうが多くなっていました。ただ、社長の肩書きは残しておきました。社長であることが誇りというか、本人の精神的なモチベ―ションになっている部分があったので、それがなくなってしまうと、一気に弱ってしまうと考えたからです。「亡くなるまで社長は変えない」と、会社で経理を担当している妹と話し合い決めていました。
それでとくに困ることはなかったです。先代には、物事の事前報告はしていましたが相談はあまりしないようにしていました。病気のせいで自分でできないことも多くなっていたので、本人は終始機嫌が悪かったですが(笑)、あれこれ口出ししてくることはありませんでした。
ただし、決算については、私には一切触れさせませんでした。他にもあまり仕事のことは教えてもらっていません。いや正しくは、教えようとはしてくれたのですが、天才的な「感覚経営」の人だったので、私が理解しきれなかっただけかもしれませんね(笑)。
個人的には非常に良い記事だと思いました。
こういった会社を行政が支援してあげれば建設業界もよくなるんじゃないかと思います。
今の時代保証がないので安定を求めるのなら月給制ですね。
ただ雨が降ったらお金が支払われ無いという理不尽があったりしますよね?
行政関連の人たちはそれを当たり前のだと思っていますがそれはまちがいです。
業種によっては雨の日で作業をした場合どうなります?
品質不良になる可能性ありますよね?
それでも補填がない世の中w
おかしいと思いませんか?
会社都合の休日は休業補償になりますよね?
建築業界にはもっともっと保証が必要だと思いますw!
茶化し気味ですが自分おかしい事いってますかね?