板前志望だった青年が、土木の大学教授になった理由
とあるスジから、「京大の教授にはおもろい人間が多い」という話を聞いた。じゃあということで、「おもろい先生」を何人かピックアップしてもらった。その中の一人が、今回紹介する京都大学で構造工学を研究している北根安雄さんだ。
北根先生は、京都大学で鋼構造物の耐震性能を研究した後、アメリカの大学でコンクリートとFRPのハイブリッド構造の橋梁利用に関する研究で学位を取得。アメリカのコンサルタント会社でフォレンジックエンジニアリング(法工学)の仕事に従事した経験を持つ。帰国後は、名古屋大学、京都大学で研究を続け、今年5月、奇しくも自身が学んだ研究室の教授に就任した。
そんな華麗なるキャリアを持つ北根先生だが、もともとは板前志望。しかも、板前になるため、大学進学はおろか、高校も中退する気でいたというのだから、人生わからないものだ。ガチで板前を目指していた人間がなぜ、土木の大学教授になったのか。お話を聞いてきた。
「板前になるために高校を辞める」

北根 安雄さん 京都大学大学院工学研究科社会基盤工学専攻構造工学講座 教授
――土木に興味を持ったきっかけはなんでしたか?
北根さん 私はもともと、板前になりたかったんです。板前になるためには、中学校を出たら、どこかの料理店で弟子として修行するものだと本気で思っていました。それで、高校1年生のときに、親に「板前になるために高校を辞める」と言いました。しかし、「高校は行っとけ」ということで、親は許してくれませんでした。
それで仕方なく、高校に通っていたのですが、高校2年生のときに高校の先生と親とで進路相談をしました。その場では「大学には行きません」と言いました。ところが、家に戻ってから、親が「大学には行っとけ」と言い出して、だいぶモメました。最後は私が折れて、大学に行くことにしました。
その後、再び先生に相談をしたところ、先生から「板前になりたいということは、なにかをつくりたいということだろう。建築や土木なら、大きなものをつくれるよ」と言われました。そこで初めて、土木というものが自分の中に入りました。それから大学で土木を学ぶということを目指すようになりました。それで京都大学の土木に入りました。
――高校の先生のアドバイスで、土木にしたということですか。
北根さん そうです。先生の一言がなかったら、全然違う道に進んでいたかもしれません。
――板前と土木をつなげるその先生の発想力がスゴいですね(笑)。
北根さん そうですね(笑)。
阪神淡路大震災の被災現場を調査
――大学では土木のなにを学んだのですか?
北根さん 一番しっくりきたので、構造力学を学びました。今私がやっている研究室と同じ研究室でした。当時の教授の先生は渡邉英一先生でした。その下に現在も京都大学におられる杉浦邦征先生と現在は九州大学におられる宇都宮智昭先生がおられました。メタルの橋梁を中心に、浮体構造物なども研究する研究室でした。
私が4回生のときは、橋梁の鋼製橋脚の耐震性能について研究しました。修士1回生になったとき、阪神淡路大震災が発生しました。「大事な研究なんだな」と思いながら、現地調査などを行いました。
――現地調査では得るものが多かったのではないですか。
北根さん そうですね。地震前は先生に言われるがままに研究していたようなところがありましたが、被災現場を目の当たりにすると、興味が湧いて、目的意識を持ちながら研究することができました。
ゼネコンに面接で落とされ、博士課程に進み、そのままアメリカ留学
――就活はどんな感じでしたか?
北根さん 当時は研究者になろうとは思っていなかったので、修士2回生のときに、就活をしました。もともとモノをつくりたかったので、ゼネコンを受けました。大きな会社に入って、海外で仕事をしたいと思っていました。ところが、希望するゼネコンの面接で落ちました。それでどうしようかなと考えた挙句、博士課程に進むことにしました。博士課程に入った後、すぐにアメリカに留学しました。ニューヨーク州立大学に6年半ほどいて、博士号を取りました。
――6年半は長いですね。
北根さん はい、スゴく時間がかかりました。地震でモノがどう揺れるかもっと研究するために、地震工学研究センター所長のジョージ・リーという先生ところに留学しました。その先生に与えられたテーマが、モノが動的にどう揺れるのかについてこれまでの理論では説明できない新しい現象を追究するような内容で、非常におもしろいテーマでした。それで3年ほどその研究を続けたのですが、残念ながら実際にはこれまでの理論で説明ができてしまいました。
それで研究テーマを変えました。違う先生のもと、土木構造物へのFRPの活用に関することをテーマにして研究を始めました。具体的には、FRPとコンクリートとのハイブリッド構造物に関する研究で、FRPを橋梁の上部構造に使った場合の桁構造を提案するものでした。最終的にはFRPに関する研究で学位をとりました。