日本で施工するかのごとき傲慢な工程表
それは工程表の作り方をみれば、一目瞭然です。工程作成には、建物の基本的な工事期間はもちろん、その国独自の事情から始まって、気候(雨季等の把握)や宗教的な祭日や祭典(イスラムのラマダン等)を含め、現地のサブコンの技量、現地作業員の技量が内包されなければなりません。
日本で作った、日本で施工するかのごとき工程表は、現地の様々な事情が一切考慮されてないのが一般的です。それなのに、日本にいる人たちは「現地は一体何やってんだ!工程に乗せろ!」などと平然と言って来ます。もう少し現地の状況を理解し、事情を踏まえた工程を組んで欲しいものです。
東南アジアに行けば、建築関係者ならば誰しも、その現地メンバーの細さに驚き、「こんなんで大丈夫なんだろうか?」と笑いながら言いますが、その笑いの裏側の傲慢な考えに、そろそろ気づくべきでしょう。
図面と調達にみる建設コンサルの課題
図面と調達についてもそうです。
民間の仕事ならいざ知らず、海外のODAともなれば、図面に記載された材料の調達の是非も絡み、大いなる混乱を招いています。材料調達に関して、建設する国の事情を調査するのは容易ではありません。
様々な基準をクリアし、図面通りの仕様で仕上げるのは簡単ではないため、当然、多くの材料を日本から手配することが多くなります。そのための余裕をJICAはみてはいますが、それを監理するコンサルの質にまでは配慮が及んでいません。
コンサルの多くは、確かに日本で言えば優秀な人が多いです。学者並みの知識を持ってる人もいれば、大学の先生や政府の出先機関で監理の仕事をしてきた人も多いです。しかし、例外なく現場の事情を汲める人は、ほとんどいません。
確かに、いちいち現場の事情に合わせていては、監理なんか出来ませんし、「図面通りに出来ない方が悪い!」という言い分は一理あります。しかし、私は何も温情で検査を甘くせよとか、大目に見て欲しいと言ってる訳ではありません。
一番問題なのは、現場に関わる人間の気持ちが分からないところにあります。理屈や知識だけでは、誰もついてこないと言うことです。
採算と現場の力だけが増大したゼネコン
どんなに科学が進歩しようと、図面はせいぜい手書きからCADに変わったくらいで、人間が書くことには変わりがありません。
図面がなければ工事は始まりませんが、最近は施工図以前の、建築図そのものさえ出来ていない場合が多過ぎます。時間が迫り、建築図の直しが間に合わず、見切り発車での施工がほとんどです。
現在の建設業は、設計の意味を解いて人材を育成するなど、会社を背負っていく屋台骨の構築をないがしろにした結果、採算と現場の力だけが増大し、もはやペダルを止めて考え直す余裕さえないようです。
こうした日本の建設業に危機感を抱いているのは、私だけではないはずです。
施工図、設計図の件、同感です。 施工図だけでなく仮設計画図も無い状態で施工に突き進む。何かあれば協力会社に押し付ける現場監督達。
海外だけでなく日本でも起きている事象です。大手ゼネコンの監督さんでも所長を恐れて工程通りに間に合わせろ!の一点張りでどうやって遅れを挽回するかの具体的な指示も作戦も無い現状。
本当に仕事を知っているのかと疑いたくなります。
日本の建築技術を後世につなげる為にも施工段取りの打合せや工程調整能力、作業員に納得してもらう力が必要だと思います。これは中小も大手も変わりないと思います。
差別する奴は何処に行っても差別するんだって事だな
現場経験無い奴は命令・指示しか出さないパターンあり