本場の奈良で宮大工修行に励んだ20代
大工の父を持ち、地元の工業高校に進学した北村青年はそのまま父の勤める工務店に入った。一般的な大工仕事に精を出していた10代の頃、刃物の祭典「やすぎ刃物まつり」で衝撃的な出合いをする。
「それまでに見たこともないようなカンナがあったんです。一瞬で心を奪われましたね」。それは、日本一の鍛治職人が作る道具だった。以来、名うての鍛治職人と付き合いを持つようになった北村青年。宮大工への興味が芽生えたのもこの頃だった。
「その頃、勤めていた工務店の親方が亡くなって解散状態になってしまったんです。紹介してもらった棟梁に将来の話をしていたら“社寺をやるなら奈良だ”と言われ、すぐに鳥取から奈良に引っ越しました」。北村青年21歳のときである。
平日は社寺の現場で仕事、週末も社寺見学という奈良での生活を5年間過ごし、北村青年は地元の鳥取に帰る決意を固めた。個人事業主としてさらに様々な経験を積んだ後、2010年に株式会社創伸を設立。古民家の再生や伝統構法の家づくりを事業の柱にした。
「当初は“仕事なんてない”“無理だ”と後ろ向きなことばかり言われました。でも、逆にそれがエネルギーになりました」。奈良で学んだことは100%、鳥取の今の仕事に活かされている。北村社長の異常とすら思える木へのこだわりがそうだ。
技術にこだわるため、木に徹底してこだわる
「木は原木で買います。もちろん鳥取県産で伐採する時期も10月から12月のものだけ。新月の日に伐ったものが理想です。家の西に山の西側の木を使うといった究極の仕事をするために、“木を買わず、山を買え”なんて言葉もありますし、できる限り実践しています。でも、まあ原木市場に足を運んでいる大工なんて僕くらいですね(笑)」。
木へのこだわりはこれだけではない。根っこには「木は生きている」という信念がある。
「乾燥も今は高温であっという間にしてしまいますが、それをやると木が傷んで全くの別物になってしまうのでやりません。それと木にも上下や腹と背がありますから逆木なんかは絶対にやりません。宮大工界では罰当たりとされていました」。
木にこだわることは自らの技術にこだわることと同義でもある。
「宮大工として培ってきた技術を100%発揮するため、木にこだわっている部分はあります。短時間で熱を加えた木とかは繊維がおかしくなってノミで切れないですからね。道具にもやはりこだわります。いい道具を使うと木が喜ぶ感じがするんですよ。道具にも当たり外れがあるのですが、たとえ100枚に1枚でもものすごく切れる奴に出合うと最高に嬉しいですね」。