真の土木技術者は、夢を語れるトータルな存在
宮内 もうひとつ原先生の「施工の神様」の記事で印象に残ったのは、「お役に立つ」というフレーズが何度も出てきていたことです。「人のお役に立つ」「社会の役に立つ」という言葉が随所に出ていたことを覚えています。私にとっても、「お役に立つ」という言葉がとても重要なキーワードですから。
原 土木工学はそれが使命ですから。
宮内 その通りです。
原 技術者にとって、プロフェッショナルなスキルを持つことはもちろんですが、それ以外に倫理観とか社会性なども問われる職業だと考えています。それが技術者、エンジニアです。一方で、溶接とか測量とか個々のスキルに特化した方は、その道のプロフェッショナルですが、そういう方は技能者、テクニシャンであるというのが私の意見です。良い悪いではなく、役割が違うということです。
宮内 それって、土木の世界だけとは言いませんけど、ある意味で土木独特のことではないでしょうか。ただ、現実には先生がおっしゃる地点までに至ることができる人間は、そんなにはいないかもしれません。倫理観や社会性が要求される立場の人間であるにもかかわらず、実際には、そのレベルに達していないか、「そこは自分ではない」と思っている人が多いのではないでしょうか。
技術者として、一つの現場を回していく場合、必然的にテクニックやスキルだけではダメな部分が出てくるわけですが、にもかかわらず、それに気づかない技術者は多い。施工の現場は、その現場だけで閉じているわけではなく、世間との接点です。原先生のおっしゃる倫理観に相当する部分が、そこでは求められる場合があるのですが、「そこは俺じゃない」という技術者はけっこういるものです。土木技術者という概念は、そういう部分も含めた総合的なものなんです。
原 おっしゃることは良くわかります。工学的な知識と経験工学的なものも兼ね備えた存在こそが、信頼ある真の技術者であるという点では、同じことをおっしゃっていると思います。土木の仕事は自然を相手に真摯に向き合っていかないと、うまくいかないところが出てくるでしょうね。
宮内 ひとくちに土木技術と言いますが、「狭義の土木技術」と「広義の土木技術」というものがあると私は考えています。「土木技術」と言うと、「純粋土木技術」とでも言うか、狭い意味でしか捉えられない場合が多いのですが、広い意味で解釈すると、倫理観とか社会性への考察が入って来ざるを得ないでしょう。私も、原先生の意見に同感です。
原 大局的に土木の仕事は何かと考えると、責任のある仕事であるし、夢を語らなければならない仕事だと思うのです。私が言った倫理観はそういうものを含んだ言葉なのです。構造物の精度はもちろんですが、最後まで仕事に責任を持ち、夢を実現させるのが真の技術者だと言っているのです。そういう意味では軽々に技術者を語ったり、名乗ったりしてはいけないのかもしれませんね。一芸に秀でたからと言って技術者ではなく、もっと総合的な能力を持った人間こそが初めて技術者と呼ばれるべきなのかもしれませんね。
宮内 そうですね。土木技術者はゼネラリストであるべきですね。
若者は考える力はなくなってるかもしれないけど、その代わりに別の能力が伸びてるんだよな。
IT技術を使う力とか、相手を平等に扱う力とかね。