土木にはエリートも必要だが、馬鹿も必要だ
宮内 以前、「施工の神様」に「土木は学歴のない馬鹿のやる仕事」という記事がありました。しかし、そうではないですよね。優秀な人材やエリートも必要でしょうが、馬鹿の存在もまた必要。エリートと馬鹿のチームワークと総合力で勝負するのが土木だと私は考えています。
原 そうですね。私も、おっしゃることはよくわかります(笑)。一つの目標に向かってみんなで汗をかきながら、がむしゃらに頑張る。その結果一つの答えが見えるのが土木だと思います。想像力というか、突拍子もないアイデアをパッと出すことが実は大事です。そのためには、基礎的な学力に加えて現場に行ってモノを見る経験が必要になります。研究も同じところがあって、ペーパーを読んでいるだけでは良い研究はできません。頭と体を動かさないと。
宮内 そういえば、原先生は、「施工の神様」のインタビューで、「実際の現場に行って、感じ取ることが大事だ」とおっしゃっていましたね。
原 ええ。最近の学生は全体的に基礎学力に優れ、優秀ですが、個性的な学生はわずかしかいません。いくら学力があり成績の良い学生であっても頭でっかちでは、総合力がある人間とは言えません。実際の現場を見ることで、感性を磨くことも大事な教育と考えています。研究室として、いろいろな人からお話しを聞く場を持つのも、個々の想像力を磨く上で必要なことだと考えています。
研究室のゼミでは立場や仕事の内容が異なる方々にそれぞれの見方や経験をお話しいただいていますが、みなさんどこか共通するところがあります。それが聴いていて面白い、学生も私もためになっています。
土木の感性は、試行錯誤の努力で得られる
宮内 学問研究の分野で、感性は磨かれるものですか?
原 もちろん最初はうまくいきません。むしろうまくいかないことに気づくのが大事ではないですか?
宮内 そうです。とても大事です。
原 うまくいかないからこそ学生は四苦八苦する。時間をかけて自分なりの答えを見つけ出していく。ヒントは友達などに与えてもらっても良いでしょうが、最終的に自分で物事と向き合い、ある時パッと答えを見つける。見つかったら後は楽しみながら研究を進める。
一方でいつまでも言われたことだけをやっている、与えられた問題だけを解く、作業するだけの技術者にはなって欲しくない、というのが私の教育面からの思いです。
宮内 今の先生の言葉は、私が仕事をするとき、常に心の中に留めている言葉と重なります。30年くらい前、高知県を代表する設計技術者の方に、「君らは、設計にない構造物をどうやって決めるんだ?」と質問されたことがありました。
私は「標準図集を現場に当てはめます。当てはまらない場合は、経験と勘ですね」と、ロクな経験と勘もなかったくせに答えました。するとその人は、「まさにそこなんだよ。設計で大切なものは経験と勘、計算ありきの世界ではないんだよ」と言われました。それ以来、その言葉が心の中にずっと残っています。
「勘」と言うと、直感的な何かと捉えられがちですが、私の言う「勘」はそういうものとは違います。経験を積み重ね試行錯誤をした結果によって得られるものです。
原 経験や現場での裏付けに基づいた勘ですよね。
宮内 そうです。原先生が言う感性に近い。
原 芸術的な感性という意味ではありません。失敗を重ねながらも自分の責任で物事を考え続け、一つの方向性を見出す努力の積み重ねによって培われるものです。研究も常に新しいことにチャレンジしなければなりません。先輩が素晴らしい研究をしていたとしても、時間がかかってもすべて自分で理解し、体感しないと次の答えは出ないと思います。
宮内さんのおっしゃる勘と同じことです。学生も何度も現場に行くと、ちょっとしたことかもしれませんが創造性が働く。ちょっと周りを見渡して「ここでこういうことをすべきだ」とか、作業の優先順位のつけ方、スケジュールの考え方などいろいろ気づき始めます。
宮内 ひょっとして原先生のような大学教授は一般的ではない?
原 一般的ではないかもしれませんね。
宮内 でしょうね(笑)。
若者は考える力はなくなってるかもしれないけど、その代わりに別の能力が伸びてるんだよな。
IT技術を使う力とか、相手を平等に扱う力とかね。