「図面通り作った」は、主体性のないイマイチな技術者だ
原 なぜ私が創造性にこだわるかというと、「施工の神様」の記事にも出ていますが、民間のコンサルタントで働いた経験があるからです。一流の技術者は個人の能力、資質が常に問われます。カタにはまったことだけやっていれば良い、というわけにはいきません。そういうことを大学で学ぶには、研究を通じた活動しか体験できません。土木に必要な勘、技術、人付き合いを学ぶのは大学の研究室が重要な過程ということです。
宮内 そういう原先生の考え、私は好きですね。土木にはトータルな思考や能力が必要というところが。
原 基礎学力は必須ですが、世の中、学問だけではありませんからね。
宮内 大事なことです。ところが、現場の人間にも、トータルなものが必要だと考える人間は意外と少ないんですよ。例えば、そのひとつの現れとして、「設計図書の通りに仕事をすれば良い」と考える人がけっこう多いということが挙げられます。かつて、部下とこういうやり取りがよくありました。
宮内「なんでこういうモノを作ったの?」
部下「いや、図面通り作りました」
宮内「お前、図面通りに仕事したらいかんわ」
確かに、「設計図通り作った」というのは、一応の免罪符にはなりますよね。結果的にダメなものができたとしても「設計指示が悪いからでしょ」と言える。でも「それでいいのか?」という話です。
原 本人に主体性、仕事に対する誇りがないのでしょうね。
宮内 そうです。私に言わせれば「それでもプロか?」ということです。
原 誇りや経験もその人の持つ能力の一つです。単に作って完成検査を受けておしまいではなくて、その後のことを考えた対応策など、自分なりの工夫は必要です。標準図表にこういうモノを足したのだというものが。そういう工夫をするには責任を伴います。責任をとるためには知恵、知識が必要になります。主体的に一歩踏み出す、頼りがいがあり度量の広い人が土木には必要です。
宮内 そういう意識を持てるようになれば、土木はものすごく面白くなります。と同時に奥が深くもなります。
原 そうなると、貪欲になるでしょう。新しいことをドンドン学ぶようになる。新しいことを学ぶかどうかは自己判断ですが、日々頭を使って考えて想像している人。そういう人こそ、真の技術者だと思っています。
宮内 土木はそういうところがありますね。仕事以外のことが確実に仕事のプラスになります。ただ、そういった別分野での経験を応用するというのは、誰でもできることではありません。
原 それができるようになるのも、やはり経験ではないですか。1年、2年では難しいでしょう。大学でも大学院まで進まないと応用力は身につきません。懇親会の段取りなどもそうです。経験や先の見通しがつくかつかないかで、動きがずいぶん違ってきます。
宮内 私も昔、若い人を育てるのに、まずは酒席の段取りを任せていました。「飲み会の段取りもできないヤツは、仕事の段取りもできない」という考えからです。ただ、私の弟子には、飲み会の段取りは一流でも、仕事はイマイチっていうやつもおりますが(笑)。
若者は考える力はなくなってるかもしれないけど、その代わりに別の能力が伸びてるんだよな。
IT技術を使う力とか、相手を平等に扱う力とかね。