赤字工事を黒字に転換する総括作業所長の力量
——1996年から総括作業所長になったわけですが、当時は赤字工事も多かったのでは?
髙淵 赤字受注工事は多かったですが、それを黒字に転換させるのが総括作業所長の力量です。総括作業所長を続ける以上は、赤字の工事を黒字に転換することに加え、安全第一で努力と改善を続け、かつ「竹中の品質」を確保することが私の仕事でした。
私の仕事でのスタンスは「施工のプロとしてなんでも請けます」でした。請ける以上は黒字にするために、社内各部署と協議しながら工法や施工手順も変更します。品質を確保しながら、いかに人件費を削減し、段取りも効率的にするか。VE提案によってムダをなくす努力をしてきました。
——担当した工事はすべて黒字化できましたか?
髙淵 はいと言いたいところですが、1件だけ黒字にならなかった工事がありました。
作業所長から総括作業所長の時代には、新築・改築・増築工事(リニューアル工事を含まず)で53棟の建物を担当しましたが、そのうち1件は難しかったです。もともと33%の赤字で受注した工事でしたが、なんとか3%の赤字まで戻すのが精一杯でした。
設計事務所にも品質を落とさないVE提案をお願いしましたが、黒字化は叶いませんでした。あとは個別に関係者に厳しくネゴシエーションして、工事全体を黒字にするのが所長としての責任だと思っています。
竹中工務店では作業所長に昇格すると、通常は地方の現場に行って、竣工すると東京に戻るというパターンが多かったと思います。しかし私は所長になった最初から卒業まで都心での作業所でしたので恵まれていました。新築現場のお客様と懇意にすることで、数年後にリニューアル工事も受注していました。
――作業所長になって総括作業所長までに、どんな工事を担当されましたか?
髙淵 所長になって第1号が「東電茅場町ビル」でした。それから「麻布のコンパウンドマンション」「青山吉川ビル」「ソニー御殿山ビル」「三光町住宅」「青山五丁目マンション」「青山M&Mマンション」「インペリアル浜田山マンション」「飯倉ニッソー22ビル」「目黒伊藤忠燃料」「表参道パラシオ」「原宿ギャップのビル」「原宿YMスケアー」「青山クラブ」、「青山骨董通り伊豆屋ビル」「武者小路千家の東京道場」「青山学院」「聖心女子学院校舎」などを担当しました。
現役最後の工事として、「プラダジャパン表参道」は棟上げまで担当し、同時期に総括作業所長として「サンケイ大手町ビル」も担当していました。この両方の工事を終えて、2003年3月に竹中工務店を卒業しました。
竹中工務店が不景気で非常事態宣言
——竹中工務店を卒業した後は?
髙淵 関連会社である朝日機材株式会社に転籍し、専務執行役員を2期4年、顧問で2年計6年つとめました。足場を販売・リースする会社です。全国(北海道、東北、名古屋、大阪、広島、関西、九州)を廻りました。
竹中工務店で総括作業所長をやっていた時は、「お客さんにとって施工後に仮設足場はいずれ形がなくなるものだから、なるべくお金をかけないように簡略化しよう」と心がけていましたが、朝日機材株式会社に入社すると、立場が買い手から売り手に逆転し、足場をいかに使ってもらうか、営業努力をしました。
私が朝日機材株式会社に入社した2003年は、ゼネコン全体が不景気で、竹中工務店は非常事態宣言を発令していた時代です。足場を売るためのプレッシャーは大変でした。
朝日機材株式会社の筆頭株主は三菱商事で、三菱商事の子会社・関連会社は大変多くあったようですが、朝日機材株式会社は一時期、売上が低迷していました。売上をアップするために必死で、営業活動をしました。
東京理建が「旧山口萬吉邸」をリニューアル工事
——その後、竹中工務店のOB会・竹睦会本部会長や、湘北短期大学の建築施工学非常勤講師を経て、株式会社東京理建リニューアル事業部アドバイザーに就任したわけですが、今はどんな仕事を?
髙淵 現役時代のリニューアル工事の経験を買われて、営業活動でゼネコンとの折衝をしています。日本武道館と靖国神社の近くにある歴史的な建築物「旧山口萬吉邸」のリニューアル工事を東京理建が単独受注することができました。
「旧山口萬吉邸」は関東大震災後に、東京タワーの設計で有名な内藤多仲、早稲田大学教授の今井兼二、宮中出入りの大工棟梁の血筋をひく意匠家・木子七郎といった建築界の大物たちが手掛けたスパニッシュ風の作品です。
2018年5月に国の有形文化財認定された建物で、シェアオフィスとして使われます。そのリニューアル工事を担当できて、東京理建のイメージのアップにつながりました。「旧山口萬吉邸」のリニューアル工事は東京理建全社一丸となって取り組んだプロジェクトです。
「旧山口萬吉邸」は2018年1月12日に着工、同年9月のオープンを果たしました。先日、ビックサイトで開催された「施設リノベーションEXPO」では、竹中工務店がレガシー活用第1号プロジェクトとして、「旧山口萬吉邸」を紹介しました。
竹中工務店時代に付き合いがあった職人が応援に来てくれたことも、受注できた大きな要因です。建設業界はつながりが大事です。今でも専門工事業者との関係は大事にしています。
——これまでの経験をもとに、若い施工管理技士や現場監督たちに一言お願いします。
髙淵 誠心誠意、仕事を好きになって何事にも好奇心をもって欲しいです。「やる気」がすべてです。建物が完成したら必ず自分の果たした痕跡が残ります。
よく現場でも「そんなことはできません」という人がいます。しかし、私は所長時代、建築のプロ意識で「今の時代の建築でできないものはない。何でもやります」と断言していました。その代わり品質を落とさないため、「VE」「お金」と「工期」を認めてくださいと折衝してきました。当時、私は自分のことを「YES BUT MAN」と自称していました。
過去には、業者に負担させるような風潮がありましたが、それは好ましいことではありません。発注者、設計者、施工者が三位一体となって良い仕事を遂行するために、安全にムダをなくして、目標を達成できれば、最高の建築物を世に残せると思います。仕事については、発注者、設計者、施工者みんな対等だと考えるべきです。
——人生100年時代です。これから何をされたいですか。
髙淵 健康第一を前提に、生涯現役を貫きながらも仕事一途だけではなく趣味も大切にしたいです。月2回のゴルフも健康寿命を延ばすことが出来ますし、油絵スケッチも週1回、年2回くらい沖縄でスキューバーダイビング、年1回、海外旅行と国内での国宝級の神社仏閣巡り(38回)を楽しむほか、グルメ会も年2回開催しています。
健康年齢が続く限り、何事にも好奇心を持ち、人生を仕事も趣味の両方を楽しみたい。私の地元である横浜市戸塚区では人の役に立つボランティア活動も続けています。のんびりボッーとして生きたくないです。
人生は一度きりです。その人生を仕事と趣味の両方で最大限に楽しみ、地元貢献もできればそれはいい人生だと思っています。
——貴重なお話をありがとうございました。
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私は型わく大工で今74歳で現役で働いてます、
内容が良く理解出来ます
私も仕事大好き必然的に良い仕事に邁進出来ます。
親子三人型枠大工でもちろん竹中工務店下請け会社で働いてます°