五洋建設、三井住友建設への入社経緯
大石(施工の神様ライター)
五洋建設・岩本さん
大石(施工の神様ライター)
五洋建設・岩本さん
最初は大阪配属で、3年目で九州支店に転勤しました。その後は西日本を中心に、いろいろな現場を転々としています。
入社から10年ほど経ち、監理技術者になった後は、広島の支店などにいました。九州に戻って来たのは5年前です。ほとんどが西日本の現場でしたね。
大石(施工の神様ライター)
三井住友建設・田中さん
私は鹿児島の出身で、九州の大学で土木を専攻していました。大学を卒業した後、最初に入社したのはPCの橋梁メーカー。その後、橋梁のコンサル会社に転職しました。それぞれ8年ぐらい在籍していました。
土木を志したのは、ものづくりがしたかったからです。どうせなら「目に見えるものが良い」ので、何となく橋梁に関わったという感じですね(笑)。
大石(施工の神様ライター)
三井住友建設・田中さん
現地ではレジデントエンジニア(駐在技師)という立場で、橋脚を作り直す工事に携わりました。施工管理と発注者支援が主な仕事でした。
大石(施工の神様ライター)
三井住友建設・田中さん
所属するゼネコンは違っても、土木への愛は同じ
大石(施工の神様ライター)
五洋建設・山本さん
五洋建設を選んだのは、大学3年生のときのインターンシップで五洋建設の現場に行って、印象が良かったからです。
大石(施工の神様ライター)
五洋建設・山本さん
大石(施工の神様ライター)
三井住友建設・井上さん
もともと建築に興味があったのですが、地震をきっかけに、まちづくりに関心が移りました。高校に進学する頃、大震災が起こりました。直接地震を経験したわけではありませんが、小さい頃、福島で暮らしていたことがあったので。
大石(施工の神様ライター)
三井住友建設・井上さん
インフラでは橋梁が好きだったので、ゼネコンの中でもPC橋梁の実績がある三井住友建設を選びました。
自分で施工した橋梁を10年後にコンサルとして点検
大石(施工の神様ライター)
五洋建設・岩本さん
橋梁や道路の仕事は、開通した後、自ら通行するのが醍醐味です。でも、実際には、なかなか通行する機会がないんです。工事が終わると、別の現場に転勤になる場合が多いですから(笑)。自分がつくったものがどう使われているかわからないのは残念です。
ただ、新若戸道路は開通後に近くにいたので、一番に通行しに行きました。嬉しかったですね。その他の自分が関わったインフラを見に行くのは、定年後ですかね(笑)。
大石(施工の神様ライター)
三井住友建設・田中さん
重大な損傷などはなかったんですが、箱桁の中に、施工当時に私が「装置据付完了」と書いた黒板が残っていましたので持ち帰りました(笑)。
パプアニューギニアでの仕事も印象深いですね。現地の人間とのやりとりもあって、お互いカタコトの英語で何とかコミュニケーションをとりながらやりました。
最初は1年間の予定だったのですが、矢板が入らなくて、締め切りだけで1年以上かかってしまい、結局2年間いました。
監理技術者としての苦労と達成感
大石(施工の神様ライター)
五洋建設・岩本さん
張出し仮設工法での施工だったのですが、経験がなかったので、管理がなかなか難しかったです。でも繋がったときは嬉しかったですね。所長の指示を受けながら、何とか現場を取り仕切ることができました。
こんなに和気あいあいとした感じなんですね もっとキツイ上司ばかりのイメージだったので安心しました ゼネコンに入りたいけど親に反対されてるので前向きになれました
kawaii