多摩川改修100年の歴史を振り返る
流域内人口は約400万人にも及び、大都会を悠然と流れる多摩川は、かつて「暴れ川」と呼ばれていた。20世紀初頭には洪水が度々発生し、下流域には大きな被害を及ぼした。
1914年、「多摩川早期築堤」の直訴をするため、御幸村(現・川崎市)と周辺の村民500名余が神奈川県庁に押し寄せる「アミガサ事件」が起きた。
この事件を契機に、1918年から国による多摩川改修事業が始まり、2018年に100年の節目を迎えた。
同年には、国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所が主体となり、「多摩川改修100年プロジェクト」を開催。パネルリレーやエクスカーションツアーなどを通し、改めて多摩川が担ってきた治水の歴史や役割を地域住民とともに振り返った。
時代が令和に移ろい、次の100年に向けて新たな歩みを始めた今、京浜河川事務所の澁谷慎一事務所長に、多摩川改修100年の歴史を振り返ってもらった。
多摩川改修の契機となった「アミガサ事件」
――多摩川の改修工事はどのようにして始まった?
澁谷慎一 今でこそ、多摩川に「暴れ川」のイメージはないかもしれませんが、1907年、1910年、1913年と大きな洪水が起こり、下流部でも被害が相次いで発生しました。
「これでは生活ができない」と困った住民たちは、1914年に「多摩川に一刻も早く堤防を建設すべき」と直訴するために神奈川県庁に押し寄せた、いわゆる「アミガサ事件」が起きます。なぜ「アミガサ事件」かと言うと、参加した住民がみんな編んだ笠をかぶっていたからです。
住民の思いを受けた当時の有吉忠一神奈川県知事は、道路を堤防として整備します。
そして、1918年からアミガサ事件の影響が各地に広がり、本格的な多摩川改修工事へとつながっていきます。
このタイミングで決壊するなんてね
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