首都高速道路は、NEXCOよりも特殊な環境下にある会社
――これまでのお仕事は?
三村さん 調べ直したら、今の職場が16箇所目になります。今年で31年目なので。少し長くなるけど、良いですか?(笑)
――どうぞ(笑)。
三村さん 最初の職場は設計課で、中央環状線の五色桜大橋の構造設計を担当しました。その後、湾岸線の桁橋工事の施工管理などを担当しました。仮設工法が派手なピロン工法を使った工事だったんですけどね。調査課にもいたことがあって、川崎浮島ジャンクションの線形協議として、安全対策などを担当していました。
その後、本社に戻りました。都市計画には載っていないのですが、今でも「第2湾岸線」という構想があるんです。この構想の検討や推計などもやりました。さらに、社内のイントラネットづくりもやりました。社員向けにメールのやり方などの説明もしていました。
そして再び調査課に戻りました。当時、中央環状線の工事のほか、山手通りの工事を東京都から首都高速道路が事業を受託して工事していました。私はこの事業の街路工事を担当していました。最初の計画では、山手通りは6車線に歩道をつける予定でしたが、現在は4車線に減らしています。歩道を広げて、植樹帯を入れています。
山手通りの地形は、平らではなくて、山を切り開いた道路なので、沿道との高低差があるんです。着手前はすり付いていたものが、道路を広げると、沿道や民地との高さの差がどんどん開いてしまうんです。これをどういうふうにすり付けるかという交渉、設計などをやっていました。
その後は、神奈川管理局に行って、安全対策や渋滞対策の立案、交渉などをやりました。例えば、みなとみらい辺りではトンネルの掘割が続くので、結構事故が多かったんです。舗装を打ちかえたり、区画線を書き直したり、看板をつけてみたりしました。
そして、埼玉のほうに移って、埼玉新都心線の現場で、なぜかビオトープをつくっていました。見沼は埼玉県がこの地域のためだけにルールを作ってしまうような風致地区だったのですが、どういうわけか高速道路を通してしまったんです。
通すに当たり、高速の下にビオトープを作るよう条件がつけられました。どういうビオトープをつくれば良いか、地元自治体や住民などと調整して、計画づくりをやっていました。延長1.7km、面積6.3haという規模のビオトープで、とにかく高速の下は全部ビオトープになっています。
採算性を考えれば、高架ではなく、土工でやればコストを抑えられるのですが、あえて高架構造にしました。高架下にちゃんと光が入るように高さも工夫しています。増水すると近くの川から水が流れ込むようにもしました。ビオトープでは、地元の小学生が見学に来たり、大学生などが実習をしたりしています。カワセミやタヌキなどもいます。
交通情報などを提供するお客様センターにも行きました。お客様から1日に何件か、土木関係のご意見が寄せられることがあるんですが、そういうオペレーターさんでは対応できないご意見があるときには、私が対応していました。
中には「上司出せ〜!」とスゴくお怒りのお客様からお電話いただくこともあります。そういうときも「申し訳ありませ〜ん」と対応するのも私の仕事です(笑)。今もやっています。
ウチはお客様に使っていただいてナンボの会社なので、「通れない」のが一番困るんです。できれば、渋滞も起きてほしくありません。でも「通れない」ときには、ウチの社員がすぐに現場に駆けつける態勢をとっているんです。
実際には、警察や消防の仕事が終わるまではウチは入れないのですが、できるだけ早く対応できるようになっています。管理部署にはそのための体制もあります。
いろいろな技術開発をする部署にもいました。ウチの高速道路は構造物が多く、建設から50年以上経った構造物もあって、NEXCOさんなどと比べると、特殊な環境下にある会社なんです。メンテナンスなどに関して、ウチ専用の技術というものをいくつか開発しています。
例えば、狭い場所でもキチンと直せるなどの技術です。中には特許を取ったものもあります。ゼネコンさんなどとの共同研究の調整などもしていました。
また神奈川に戻って、再び安全対策や環境対策を担当しました。ちょうど横浜北線が開通したのですが、ほとんどがトンネルの北線で換気所で不具合が発生したんです。地元の方々にお詫びと原因の説明に行ったりしました。不具合は、活性炭の洗浄が原因でした。
首都高速では、人や自転車が間違って乗り入れるケースがあります。乗り入れないよう看板などを設置しているのですが、それでも入っちゃうんです。路面に「首都高」と大きく書いてみたり、阪神高速道路株式会社さんが「この先有料」と書いたら効果があったそうなので、ウチでも試しにやってみたりしました。そのおかげなのかどうかはわかりませんが、設置以降、今のところそこから人は入っていません。
ようやく現在の話になりますが、今年7月から技術コンサルティング部にいます。ウチが開発した技術を他社でも使ってもらえるよう営業やコンサルティングの仕事をしています。他の高速道路会社や国の国道事務所、自治体のほか、海外の高速道路会社などをターゲットにしています。
――とくに印象に残っている仕事は?
三村さん 甲乙つけがたいところがありますね。ただ、誰も経験したことがないだろうと思うネタがあって、お客様センターで苦情対応したお客様からイチゴを贈っていただいたことがあります。スゴイ立派なイチゴでした(笑)。
徳田さん 三村さんのお話を聞いていて、「まだ建設中だった」というのが新鮮でした(笑)。私の記憶では、首都高速はほぼほぼ今のカタチなので。
三村さん 私、徳田さんが生まれる前から仕事してたから(笑)。
――徳田さんはまだ2年目ですが、これまでの仕事を振り返ってどうですか?
徳田さん 私は今、更新設計課という部署にいて、大規模更新事業の設計を担当しています。具体的には、渋谷線です。入社後1ヶ月間の研修後、配属になりました。
実際の仕事はわからないことばっかりです(笑)。大学ではコンクリートの研究をしていたのですが、首都高速の構造物は鋼構造が圧倒的に多いので。先輩には「なんでも聞いて良いよ」とおっしゃっていただいているので、本当になんでも聞いています(笑)。
――OJTで?
徳田さん そうですね。私の場合、同じ業務をしている先輩にずっとくっついて仕事をしています。
――シンドイことはない?
徳田さん 私はないですね。みなさん仲良くしていただいています。