土木を学ぶなら、国際的な評価が高い日本
――生い立ちは?
ジャニスさん 私は日系三世です。名古屋で生まれ育ちました。おじいちゃんが日本人、両親はペルー人で、私もペルー国籍です。日本語、スペイン語のほか、少し英語も話せます。今年27歳になります。
――なぜ土木の世界に?
ジャニスさん 11歳のときにペルーに2週間程度旅行し、親戚に会ったりしました。日本にいると、周りに馴染めない感じがあったのですが、やはりペルーはとても肌に合うなと感じ、ペルーに住みたいなと思いました。
ただ、同じ勉強をするにしても、ペルーよりも日本の方が国際的な評価が高いので、日本で勉強した後、ペルーに帰るのが、安定した仕事に就けるかなと考えました。世界中どこへ行っても仕事ができることを学ぼうということで、漠然と「工学部に行って、エンジニアになろう」と考えました。
高校に進学して、工学部で何を学ぼうか調べていくうちに、「土木が面白そうだな」と考えるようになりました。ペルーにもいろいろなインフラがありますが、地震が起きると、すぐ崩れちゃうような構造のものばかりなので、日本で学ぶなら土木の技術だと決めました。
兄が機械工学を学んでいたので、大学受験では、機械工学と土木工学の両方受験して、愛知工業大学の土木工学科に入学しました。研究室は構造研究室で、FEM解析を用いた鋼製橋脚座屈の再現をテーマに研究していました。入学する前から、「橋関係の現場監督になる」と決めていました。
新卒で大手橋梁メーカーに就職するも1年で退職
――就職は?
ジャニスさん 在学中に、たまたま会社説明会に参加したのですが、話がスゴく面白かったので、株式会社ピーエス三菱に入社しました。入社後は、現場監督として、三重の現場に入りました。
仕事自体はスゴく楽しかったのですが、1年で会社を辞めました。
――なぜ?
ジャニスさん いろいろあったからです(笑)。やっぱり鋼製橋梁をやりたかったというのもありました。
――それでヤマダインフラテクノスに転職したと?
ジャニスさん そうです。普通の橋梁メーカーではなく、「みんなが足を踏み入れないような仕事をしたい」という思いがあったので、変わった会社を探しました(笑)。つまり、メインの橋梁工事ではないけど、独自のアプローチで橋梁工事に携わっている会社ですね。これから維持補修の仕事は増えていくので、維持補修の会社が良いだろうということで、ヤマダインフラテクノス株式会社に入社しました。4年ほど前のことです。
実際に入ってみると、社長との距離も近く、「どんどん意見を出してくれ」というオープンな社風で、社内の雰囲気がとても良かったです。
――ヤマダインフラテクノスではどのような仕事を?
ジャニスさん 入社してすぐ浜松の現場に入りました。先輩について仕事を覚えていたのですが、しばらくして先輩がよその現場に移ったので、あとはほぼ一人で監督の仕事をしました。2年目から一人で現場管理しています。
その後、名古屋市や神奈川、東京の現場に入ったほか、何度が本社勤務をした後、東京に来ました。東京に来て1年になります。アパートを借りていますが、会社の扱いは出張です。
――ずいぶん出張が多いですね。
ジャニスさん 入社したときから「どんどん出張したい」という希望を出していたので、そうしてもらいました。
――東京では基本一人?
ジャニスさん 今のところ一人ですね。ずっと現場に出ているので、事務所にはほとんどいません(笑)。