入社1年後、父でもある代表死去という不幸に
――先代の死去により急遽、当時23歳で代表に就任されました。
櫻井弘紀氏 2008年に入社し、その翌年の2009年の4月に代表に就任しました。入社前から父の体調は悪化していて、長くはないと想像していましたが、まさか入社の翌年に亡くなるとは思っても見ませんでした。
防水工事の仕事自体は、高校時代からアルバイトとして職人のお手伝いをしたり、建築関係の専門学校を卒業した後は防水工事会社で修業していて一通り経験していたのですが、営業や経営は経験がありませんでした。まずは会社を成り立たせなくてはいけないと、自分と家族については後回しにして、社員とその家族を守ることだけに集中しました。
――2代目社長として、社内外から信頼を勝ち取ることは大変だったと思います。
櫻井 下請けとして働いていたこともあって、職人から可愛がられてはいましたが、それだけでは代表はつとまりません。代表として職人に指示をし、お願いする立場になりますからね。父は、社員や協力会社の皆さんから本当に慕われていて、偉大な存在でした。だから、私がいきなり代表になって父の代わりが務まるかといえば、それは難しい。それならば発想を変えて、社員や協力会社の代表の方と一人ひとり面談をし、これからの目標や私が考えていることや、私が父をどれだけ愛し、追いかけてきたかを話しました。その後、みなさんにこう語りかけました。
「先代の社長は会社の父親。社員や協力会社はその子ども。今までの会社組織はビラミットで、その頂点に父は存在していたが、父が亡くなってからはもうそのピラミッドはなくなった。私は社長ではなく、長男として、会社で責任を負う立場に立つので、みんなについてきてほしい。もう親はいないので、子ども同士知恵を振り絞って、頑張ってやろう。会社は私のものではなくみんなのもの。会社を財布としてたとえるならば、みんなでその財布を大きくし、みんなでいい暮らしをしよう」と。
「父を超えよう」という考えはない
――皆さんの反応は?
櫻井 違和感を抱いて辞めていく人は1人もいなかったです。同族会社で代を引き継ぐと、「父を超えよう」「新しいモノをつくろう」という発想を持つ人もいますが、それは私にはありません。代を継いだあとも社員や協力会社の方々に違和感を抱かせないように努めました。先代が築いたバトンを引き継ぐことは、先代の思いがこれからも走り続けていくことにつながります。先代の思いをみんなで発展させようという目標のもとに新たなスタートが切れましたね。
――子どもの頃は、お父さんの仕事はどう映りましたか?
櫻井 子どもの時から父に憧れ、大好きでした。もちろん、具体的にどんな仕事をしているかまでは分かりませんでしたが、人情味があり、男らしい人でした。厳格でありつつも、親分肌でみんなから慕われていたんです。仕事が終わって、職人とともに帰って来ると、みんなでお酒を飲んで和気あいあいとやっていて、子どもながらに「大人になると、こんなに楽しいことが待っているんだ」と思いを馳せていました。だから、学生時代からなんらかの形で父の仕事に携わるだろうなと、薄々感じていましたね。
従業員や協力会社の信頼を仕事で勝ち取ろうとする姿が素晴らしいです。
飲みにケーションで仕事を融通する時代ではなくなってきていると個人的にも感じています。
このような考え方を持った建設会社が増えるとよいですね。
同感です。仕事を頂いてる感謝はもちろんありますが。見返りを求められるのはどうかと思います。真面目にしっかりとやってくれるからと仕事を振ってくれる相手には今以上の仕事で返そうと思います。きれい事は大事にしていきたいですね。