普通のコンサルの仕事をあまり知らない(笑)
――NEKに入社してからどのようなお仕事を?
墨さん 日本エンジに入社して、いきなり2年間橋梁の点検を行っている会社へ出向しました。主な業務は首都高のメンテナンスを行う会社です。点検管理を担当し、メンテナンスのノウハウを学びました。
NEKに戻ってからは、首都高関係の補修補強、耐震補強などの設計を3年ほどやりました。その後もメンテナンス関係の仕事をやってきました。施工に近いところでの設計業務という感じでした。
――施工と一体となった設計業務という感じですか。
墨さん そうですね。設計と言っても、完全に施工が絡んでくるようなカタチでの仕事だったので、現場にはちょくちょく足を運んでいました。逆に言えば、普通のコンサルの仕事をあまり知りません(笑)。
――今はどういうお仕事を?
墨さん 今は中間管理職的な仕事が中心ですが、塗料に含まれるPCBなどの有害物質を除去する調査分析業務なども担当しています。私の職場は、上も下も我が強い人間が多く、意見がぶつかることも多いのですが、ケンカにはならないのです。誰もが「良いモノをつくろう」という思いを持って仕事に打ち込んでいるからです。
連絡ミスで、数百万円の損害
――これまでで印象に残る仕事は?
墨さん 2年ほど前に担当した首都高の支承取替の仕事です。箱桁から鈑桁にするリニューアルする工事だったのですが、非常に狭い場所で、当初はできないと言われていました。それを施工会社さんと一緒になって施工ステップなどを考え、いろいろ工夫しながら設計したところ、なんとか工事を完了させることができました。
私は、この工事の調査設計から制作、管理まで担当したのですが、難しい工事をやりおおせる仕事は、面白かったですね。工事が終わったときには、われながら「よくできたな」と思いました。
――失敗したことは?
墨さん 前の会社の話になりますが、入社3年目のころに、ある可動橋の橋脚の工場製作を担当したことがありました。設計変更の多い工事で、現場からの変更連絡の窓口をやっていたのですが、連絡ミスをしてしまって、架設完了したところ、私がつくった橋脚の高さが合わないという事態が発生しました。
現場は終わっていたのだけど、それを修正しなければいけなくなりました。結果的に会社に数百万円単位の損害を出してしまいました。「やってしまった」と思いました。
連絡事項が一つでも漏れてしまうと、モノにならないということを身を以て学びました。当時の直属の上司には、当然怒られましたが、事を収めるために手を尽くしてもらい、励ましてももらいました。この上司の方がいたからこそ、自分自身立ち直れたと思っています。