港湾は縁の下の力持ち
――林さん、就活はどうでしたか。
林さん 工業高校では、公務員試験のサポート体制が充実していたので、それで公務員を志望するようになりました。受ける選択肢の中で市役所・県庁・中国地整があったのですが、県を受けるなら市役所のほうが良いなと感じていたので、県庁ではなく政令指定都市の試験を受けました。
市役所は規模が小さいので、なんか違うかなと思いました。県庁は、小さくも大きくもなく、中途半端だと思いました(笑)。それなら市役所の中でも規模の大きい政令指定都市を受けようと思いました。いろんな選択肢の中で結局一番大きな仕事が出来そうなのは、と考えた結果、中国地方整備局を選びました。
――港湾を選んだ理由はなんでしたか。
林さん 道路や河川は、学校でもよく出てくる分野でしたし、学外の見学会や説明会でも、しばしば見聞きする仕事でした。そんな中、たまたま港湾の仕事に関する説明を受ける機会がありました。ふだんは全然身近な存在じゃないのに、実際は生活に深く関わっている仕事だということを、ほぼ初めて知りました。
そのとき説明に立った港湾の職員の方が「縁の下の力持ち」だとおっしゃっていたのですが、単純に「それ、すごくカッコ良い」と思いました(笑)。それで決めました。
――引っ越しを伴う転勤は大丈夫でしたか。
林さん 大丈夫でした。ずっと実家にいたので、県外に出るのも良い経験かなと考えていました。
「ああ、境港か…」

打ち合わせ中の亀田さん(中央) (中国地方整備局写真提供)
――これまでどのようなお仕事をしてきましたか。
亀田さん 最初の配属先は、広島港湾・空港整備事務所の企画調整課でした。企画調整課はちょっと変わった仕事をする課で、私は、小学生の港湾見学の案内とか、チラシの作成とか、リクルート関係の仕事などに携わっていました。思っていた仕事とは違いましたが、おもしろかったです。
企画調整課に2年いた後、境港湾・空港整備事務所の保全課に異動しました。工事の発注や現場監督などを担当しました。たとえば、岸壁の舗装をやりかえる工事とか、防波堤のケーソンをつくる工事とか、米子空港の滑走路の補修工事などに携わりました。
――山陰ですが、大丈夫でしたか?
亀田さん 「ああ、境港か…」とは思いました(笑)。まさか自分が境港に行くとは思っていなかったので、衝撃を受けました。ただ、境港には同期の女性がすでに1人いました。そこに、私と同期の女性が一緒に異動したので、女性が3人いました。
――さぞ心強かったでしょう?
亀田さん 心強かったです(笑)。3人で同じ宿舎に入っていました。一つ屋根の下でした(笑)。
――初めての現場仕事はどうでしたか。
亀田さん 最初は図面の見方も、特記仕様書の内容もよくわからなかったので大変でした。先輩に聞きながら、要領をつかむのに3ヶ月くらいかかりました。
――思い出に残っている現場はありますか。
亀田さん 滑走路の工事です。飛行機が離発着している滑走路に中に入って工事するのは、おもしろかったです。基本的には夜間工事でしたが、住宅が近いところは、騒音対策として、昼間工事しました。
――今のお仕事はどんな感じですか。
亀田さん 本局の防災・危機管理課というところで、災害対応や職場のネットワーク関係の監督をしています。
母校で港湾の仕事の魅力を伝えられた

船上で説明に立つ林さん(中国地方整備局写真提供)
――林さん、これまでどのような仕事をしてきましたか。
林さん 最初の配属先は、宇部港湾・空港整備事務所の徳山下松港出張所の企画調整課でした。リクルート関係、ホームページの管理、広報などを担当しました。2年目に、自分の母校に説明に行く機会があり、後輩に港湾の仕事の魅力を伝えるといった仕事ができたので、嬉しかったです。
今年4月からは、広島港湾空港技術調査事務所の調査課というところで働いています。中国地方整備局管内での港湾施設整備に際し、海底の状況や環境などの調査業務の発注などを担当しています。地上では見ることができない海底にある土や土層が見れるのがおもしろいです。