なぜコンクリートの研究者になったのか
東京大学の社会基盤学専攻のホームページを見ていたら、教員からのメッセージとして、インタビュー記事が載っていた。読んでみると、東大の先生にしては、「とっつきやすそうな先生だな」と勝手に思った。
そこで、取材を申し込んだら、ご快諾いただいた。ということで、東京大学でコンクリートの研究に従事する石田哲也先生にいろいろとお話を伺ってきた。
「日本のコンクリートの父」から連なる研究室
――こちらの研究室は、非常に歴史のある研究室のようですが。
石田先生 そうですね。これまで、大学は講座制というものが採用され、ある研究領域に対して教員が割り当てられてきました。東京大学の土木工学の教育・研究は、最初4つの講座からスタートしたんですが、私が所属するコンクリート研究室は、最初設立された4講座から少し遅れて、第5の講座として、1920年にスタートした講座が源流になっています。
「日本のコンクリートの父」である吉田徳次郎先生が、こちらの講義の教授を務められ、その後、國分正胤先生、樋口芳郎先生、岡村甫先生、前川宏一先生ときて、今私がやっているという流れです。
実は私、卒論の配属から、ほぼずっとこの研究室にいるんです(笑)。修士、博士、助手ときて、途中2年間トロント大学にいましたが、またこの研究室に戻って、講師、准教授、教授をやってきました。
友達に流されるカタチで土木を学ぶ
――コンクリートの研究者になった理由はなんだったのですか?
石田先生 私は、高校生のとき、文系に行くか理系に行くか、スゴく迷ったんです。物理や数学が好きでしたが、文学や歴史も好きだったからです。高校は山梨の都留高校という学校で、大学進学に特化した理数科にいました。
悩んだ結果、理系に決めたのですが、理系でなにを学ぶかまでは、決められなかったんです。そこで、あえてなにも決めずに、工学部に進もうということで、東京大学に入学しました。とりあえず、理科一類に入っておけば、あとで決められるので、都合が良かったからです(笑)。余談ですが、併願した他の大学は機械工学科を受けました。全然土木じゃなかったんです(笑)。
――土木との出会いはどのようなものだったのですか?
石田先生 たまたま、大学のサークルに、お父さんがゼネコンに勤めている友だちがいたんです。彼が土木土木言うので、私も「土木ってなんだ?」と興味を持つようになりました。友だちに流されるカタチで土木工学科に入ったわけです。
大学でこんな原始的なことをするのか
――土木を学んで、どうでしたか?
石田先生 土木工学科に正式に進学してすぐの授業で、コンクリートを練る授業があったのですが、「なんだこれは。大学でこんな原始的なことをするのか」と衝撃を受けました。「コンクリートというものが学問になるのか」と思ったわけです。そういうことで、最初はコンクリートを研究するつもりはまったくありませんでした。
その後、岡村甫先生の少人数セミナーを受講したのですが、このときは、逆の意味で衝撃を受けました。セミナーのタイトルが「スポーツと歴史と人間学」だったからです。
少人数セミナーは、先生が自分の好きなテーマを掲げて、学生を集めるゼミなんですが、コンクリートを専門とする先生なのにもかかわらず、それとまったく関係なさそうなタイトルを見て、とてもユニークだと思ったんです。もともと、歴史が好きなことも、このセミナーの受講理由でした。それで、「コンクリートの研究室に行こう」と決めたんです(笑)。岡村先生との「ご縁」が、私のコンクリート研究の始まりでした。
――ひょんなことがきっかけだったのですね。
石田先生 ええ。きっかけは、本当にただのご縁でしたが、実際にコンクリートを勉強してみると、非常に奥深い世界だということがわかりました。
研究室に配属されてから、「勉強と研究は全然違っていた」ということに気がつきました。勉強(とくにテスト勉強)は、テキストに書いてあることを理解したり覚えたりして、決められた時間内に効率よく解答するという行為です。これに対し、研究は、誰もやったことがない未踏の地を進む行為です。私にとっては、勉強より、研究のほうがスゴくおもしろかったのです。
たとえば、ある実験データが得られたけど、これはどういうことなのか、なぜなのかということについて、自分で仮説を立てて、自分で考えるのが、おもしろかったということです。私は、学部生のころは決してマジメな学生ではありませんでしたが、研究室で研究のおもしろさに目覚めました。それで大学院に進むことにしたんです。