「有線電話通信工事」一筋で26年
――三保電機に入社された経緯は?
丸本友宏 私は広島県廿日市の宮島出身で、地元の県立宮島工業高等学校の電気科を卒業しました。1993年に新卒入社したのが、NECの販売特約店で通信電話設備を主体に弱電関係の工事などを請け負う、中国電設工業株式会社です。

浄水場での現地調整試験
入社後は、有線電話通信工事の現場で経験を積みました。電話通信工事といえば、NTTさんが屋外で行う電柱や光ケーブルの現場をイメージする方が多そうですが、私が担当するのは企業のオフィスや店舗などの屋内の電話交換機と呼ばれる設備の設計、施工、保守です。システムの更新を頻繁に行う法人顧客が多かったので、いつも忙しく動きまわっていましたね。
16年勤務した頃、NEC出身で当時、中国電設工業と三保電機の社長を兼任していた小松忠司社長が、三保電機の組織を継承して独立されることに。この時はまだ鳥取県米子市に本社を構えていた三保電機が2009年に広島支店を開設するということで、「小松社長についていこう」と移籍に踏み切りました。早いもので、それから10年目を迎えました。
――現在の三保電機の業務内容は?
丸本 主力業務はNECの販売特約店として、通信・放送ネットワークシステム全般をはじめとするITネットワーク統合ソリューションの設計・構築・保守です。近年は「太陽光パネル」や「水処理装置(エルセ)」の提案による環境対策事業にも取り組んでいます。
三保電機はもともと米子で古い歴史をもつ会社でしたが、小松社長の会社となって広島地区の仕事が増えたことから2015年に本社を広島へ移転しました。現在では福山、東広島、宮崎のほか、東京にも拠点を開設して販路拡大を進めています。
入社時に比べ、仕事内容も拡がりましたが、有線電話通信工事を主体とする現場の技術部門を管理する私の役割は変わりません。
仕様は固まらないのに工期が迫ってくる恐怖
――丸本さんの仕事は?
丸本 電話通信工事の場合、通常は営業のスタッフが仕事を取ってきて技術部隊にバトンタッチする流れが一般的です。ただ、私の場合は自分で営業して仕事を受け、現場の施工も自ら行うケースが多かったみたいですね。
いわゆるセールスエンジニアではないけれど、施工の段取りなど技術のことがわかる自分が最初から客先で意向を聞いておけば、要望に対してレスポンスも早く返せますし、急な対応や変更に関しても責任が持てますから。
――これまでの工事で苦労されたことは?
丸本 通信関係の工事は仕様を詰めていくのに時間がかかって、なかなか機器の手配が出来ないとか、まだ仕様が固まっていないのにシステムの切り替え日に合わせた工期がどんどん迫って来る、なんてこともよく起こります。受注して引き渡すまでの日程をお客さんから指定され、工期が短い時はいつも頭を抱えてしまいますね。
むかし一回だけ「どうしようか?」と思って夜眠れなくなったことがありました。その時の現場は、ただでさえ工期が短かったのですが、設備を切り替える2週間前に大幅な仕様変更となり、それまでの仕様に基づいて作り上げてきた資料や準備が全部ムダに。ゼロからのスタートになったんです。
発注元の突発的な事情で不可抗力なので、私がいくら悩んでもどうにもならないことなのですが。結局、なんとかやり切りましたけど、精神的にはかなりしんどかったことを今でもよく覚えています。
権力を振りかざす世間知らずの勘違い野郎どもは本当に消えていただきたいです。