大林組で修行後、ミタニ建設工業の3代目社長に
今年創立50周年を迎えるミタニ建設工業株式会社(本社:高知県高知市)は、高知県ではAランクの有力建設会社だ。
ミタニ建設工業を率いるのは、3代目の三谷剛平社長。株式会社大林組で修行後、2009年に家業を継いだ。
しかし、2012年に官製談合が発覚。長期の指名停止処分を食らい、会社の業績とイメージはガタ落ちした。若き剛平社長は、民間土木工事に活路を見出し、なんとか売上げを確保、経営危機を乗り切った。
また創業者ファミリーの一員として、「家業としての地域建設業」からの脱却にも着手。「社員にとって働きやすい環境づくり」を目指し、様々な社内改革を進めてきた。地域建設業としては珍しく会社のイメージキャラクター「やいろちゃん」も制作。オリジナル絵本まで作っている。
「旧い建設業」から脱却し、「新たな建設業」として生まれ変わるためには何をすべきか?
ミタニ建設工業の取り組みについて、剛平社長に話を聞いてきた。
大林組の「難しい現場所長」から学んだ「柔軟さ」

大学時代は「勉強もせず、サークル活動やアルバイトだかりだった」と笑う剛平社長
――剛平社長は、家業を継ぐ前提で、育ったのですか?
剛平 はっきり言われたことはありませんが、「自分が跡を継ぐんだろうな」というボンヤリしたものを感じながら、育ちました。
――大学は土木系?
剛平 幼稚園から高校までは私立高知学園に通っていました。東京農業大学に進学し、初めて土木を学びました。大学では、勉強もせず、サークル活動やアルバイトばかりしていましたね(笑)。
――大学卒業後、大林組に入社されたと?
剛平 そうです。なんとなく入社しました(笑)。5年間ほどいました。関東や四国などの土木現場に携わっていました。短い間でしたが、いろいろな現場を経験させてもらいましたね。
――大林組で学んだことは?
剛平 大林組ぐらいの会社になると、現場所長の力が非常に大きいんです。自分の哲学というか、価値観を強く持っている人が多く、所長の考え方によって、現場のやり方が大きく異なることがありました。ある所長はこのやり方だけど、別の所長は違うやり方みたいな。
所長の考えに合わせて仕事をするという「柔軟さ」を学びましたね。私の知る限り難しい所長ばかりでしたが、どんな所長にも対応できる自信がつきました(笑)。
――例えば?
剛平 測量の道具について、ある所長に「道具を大事にしなさい」と言われ、その教えに従って、道具をキレイに磨いていると、別の所長から「そんなの大事にするヒマがあったら、新しいの買え」と言われるわけです。どっちが正しいということではないですが(笑)。
大林組では、下請けさんや作業員さんなどとずっと一緒に現場仕事をしていたので、屋外で働く人の気持ち、苦労などを知ることができました。夏の暑いのとか、冬の寒いのとか。あと、山奥の現場で花粉症でツラかったこととか(笑)。
ミタニ建設工業に入社してからは、現場に従事することがないので、このときの経験は今でも役に立っています。
ずいぶんイケメンやなぁ
こんな会社、建設会社だけど入りたくなりました!
大手ゼネコンより魅力を感じます。
21歳 土木系学生
たしかに私もこういう会社なら働いてみたいです建設業へのイメージが変わりますね
普通の会社にしたい
何気ない一言だけど、これが建設業界にとってどれだけ難しいことか
おもしろかったし、別に批判では無いが、普通とは人それぞれだということを勘違いしてはいけない。
だが、確かに学生時代に部活に打ち込んできた体育会系は頭を使うことが苦手なやつが多い。個人競技のやつは、独断先行する傾向があるが。