大橋ジャンクションは「死ぬほど考えた」
――印象に残っている仕事は?
諸橋 大橋ジャンクションの都市計画変更ですね。ちょうど国交省から戻ってきて、最初の仕事でした。私が入社したときにも、設計や地元説明会などを担当したんです。ちょうと新宿線が事業化されたころでしたので。新人ながら、建設に反対する地元の方々とのかなり熱い議論を目の当たりにしました。
中央環状線の一部である新宿線は1990年に事業化されたものの、大橋ジャンクションの工事は「まちを残せ」という地元の強い反対によって、10年経ったんですよ。大橋ジャンクションはもともと高架でUターンさせて3号線に接続するループの計画で、ルート上だけを都市計画決定してたんです。
この計画のままだと、ループの真ん中の住民の方々は、首都高速に囲まれてしまうカタチになるんです。「まちが死んじゃうじゃないか」ということで止まっていました。
大橋ジャンクションに行くまでに、富ヶ谷から駒場の東京大学の真下を抜けるんです。ちょうど駒場東大前の住宅地の土被りのすごく薄いところをシールドトンネルで通す計画だったので、駒場の住民の方々も「絶対に許さん」と測量もさせずに反対していました。それぞれの地域で反対があって、大橋ジャンクションの工事が全然動かなかったんです。
そんな中でも、なんとか道をつくって、渋滞を緩和させなければいけませんでした。そこで「ループを変えよう」ということになり、今の地下から上がっていくループのカタチになったんです。新ループの原案は、私の先輩が考えたのですが、その原案をもとに都市計画に落とし込むのが、私の担当でした。新しいループの地元説明会などもやりました。「やる」と決めてから、半年で都市計画を変更したんですよ。スゴイ短期間でした。

大橋ジャンクション(写真提供:首都高速道路株式会社)
ジャンクション工事にはものすごいお金がかかるんです。大橋ジャンクションは全部で2kmぐらい延長があるのですが、路線延長にカウントされませんので、路線全体のキロ当たり単価がスゴく高くなるんです。ジャンクションをいかに安く、コンパクトにするかは、非常に苦労しました。限られたスペースで収まるよう、ギリギリまで線形を工夫したりしました。死ぬほど考えましたね(笑)。2年ぐらい関わっていました。
その後、西新宿ジャンクションの線形設計も担当しました。これも、もともとの計画は平面交差でしたが、かなり苦労して立体化しました。大橋ジャクソンでの経験があったので、それを生かすことができました。新宿線の延長はたかだか11kmですが、完成まで20年以上かかりました。
首都高は、東京を変えられる
――首都高での仕事のやりがいは?
諸橋 私が一番の仕事のやりがいを感じるのは、プロジェクトを動かせたときですね。なかなか動かないプロジェクトや、構想はあってもなかなか事業化できないプロジェクトを動かし始めることに、スゴく達成感を感じます。今担当している日本橋区間の地下化事業もそうです。私の集大成の仕事になりそうです。
私が関わったプロジェクトでは、なんにもない現場に入って、どういうものをつくろうかと考えるところからスタートするんです。20年経って、そこに巨大な構造物ができあがっているのを見ると、やはり感動しますね。
できあがったものをお客様に使っていただいて、「便利になったねえ」と言っていただけると、土木屋冥利に尽きるというか、喜びもひとしおです。
――首都高の仕事をPRすると?
諸橋 首都高の仕事は、「東京を変えられる仕事」なんです。ふだん首都高を利用しない方々にとっても、首都高が変わることによって、物流なども変わるので、無関係ではありません。首都を変えるのは、やはりスケールの大きな仕事ですよ。規模の小さな工事でも、車の流れが大きく変わることもあります。
例えば、1車線増やしただけでも、車の流れが劇的に変わることがあります。われわれの仕事は、それだけ波及効果が大きいんです。逆に、ちょっとでも渋滞させると、マイナスの波及効果も大きいわけですが(笑)。
良くも悪くも、首都東京に大きなインパクトを与える仕事であること、これがわれわれの仕事の最大の魅力だと考えています。
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おたくは偉くて現場の現状知らんやろうけど、あんたらが雇ってくる委託監督が、保身で作らせる、無駄な書類。あれ何とかしてよ。竣工検査で見ることなく終わるものばかり、、、
それと偉そうな態度。ほんまもんの発注者が偉そうにしとるのは100歩譲ってガマンするけど、なんでクソ委託が偉そうにしてんだよ