継承されない曳家技術…
東日本大震災以前、道路の拡幅工事に伴う曳家の補償積算の算定方法が変わって、全国の曳家が廃業に追い込まれました。そんな中、解体や斫り業などと兼業することで延命を図った方たちも多くいらっしゃいました。
ここらへんから、曳家技術の劣化が始まります。
なんでもそうですが、アスリートと同じく「毎日続ける」ことで上手くなってゆきます。それと曳家の現場に遭遇することが少なくなりましたから、「上手い、下手だ」の判別が付かないため、継続しているだけで「名人」扱いされる風潮もあります。
かくいう自分も常々、自分は「ブラックジャック」「三つ目が通る」執筆前の低迷期の手塚治虫のようなもんではないだろうか?と考えている時期がありました。
手塚先生の当時のインタビュー記事に、こんなものがありました。
「僕の漫画はね。(漫画家の)教科書なんです。教科書は面白くないでしょう。でも誰かが描かなくてはならないんです」
自分も、かつては昭和50年代の曳家の黄金期を継承したあまりにもオーソドックスな工事スタイルに、これで良いんだろうか?と悩んだものでした。
もちろん、自分はブルース・リー大好きですから「水のごとく」本質は変えずに改善は続けていました。やがて時代が一周も二周もして、大工目線の曳家が宮大工や古民家再生関係者に注目してもらえるようになってきました。
で、今回は「曳家の教科書:岡本」として、こっちのほうが良いでない?と思うことを書きます。